曲目・歌詞解説

新娘道成寺|歌詞の意味・道成寺伝説・鐘への恨みを解説

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「新娘道成寺」は、安珍・清姫の道成寺伝説を背景にした地歌箏曲です。

曲名は「しんむすめどうじょうじ」と読みます。生田流では「新娘道成寺」と呼ばれ、山田流や関西の伝承では「鐘ヶ岬」「鐘が岬」と呼ばれることがあります。古曲「娘道成寺」または「鐘ヶ岬」系統の曲に手事を加え、地歌の手事物として整えたものと説明されます。作曲または改作については、菊岡検校または石川勾当とする説があり、資料によって伝承に違いがあります。

道成寺伝説は、熊野参詣の途中で宿を借りた僧・安珍に清姫が恋をし、裏切られたと知った清姫が大蛇となって安珍を追い、道成寺の鐘に隠れた安珍を焼き殺したとされる物語です。道成寺公式サイトでも、安珍・清姫の物語は道成寺を代表する伝説として紹介されています。

地歌「新娘道成寺」は、この伝説を物語として順に語る曲ではありません。鐘への恨み、仏教的な無常観、女心の乱れ、男と女の不実、遊里の華やかさを織り交ぜながら、道成寺物の世界を地歌として再構成した作品です。

「新娘道成寺」の基本情報

項目内容
曲名新娘道成寺
読みしんむすめどうじょうじ
別名鐘ヶ岬、鐘が岬、新鐘ヶ岬など
分類地歌・箏曲、京流手事物、道成寺物
作詞藤本斗文とする資料あり
作曲・改作菊岡検校または石川勾当とする説あり
題材道成寺伝説、安珍・清姫、道成寺物
箏手付宮原検校、本田勾当、葛原勾当、米川琴翁など複数の伝承
構成前歌・手事・後歌を中心とする手事物形式
主な編成歌・三絃、箏、尺八など
主題鐘への恨み、恋の執着、女心、無常、遊里風俗

「新娘道成寺」は、手事の挿入や調弦の改変によって、端歌的な曲から本調子の手事物へ改められた曲と説明されています。箏の手付や三味線替手には流派・地域による違いがあり、同じ曲名でも譜本や演奏形態によって内容が異なる場合があります。

新娘道成寺の歌詞

鐘に恨みは数々ござる。
初夜の鐘をつく時は、諸行無常と響くなり。
後夜の鐘をつく時は、是生滅法と響くなり。
晨朝の響きには、生滅滅已、
入相は寂滅為楽と響けども、
聞いて驚く人もなし。

我は五障の雲はれて、
真如の月を眺めあかさん。
言はず語らずわが心、
みだれし髪のみだるるも、
つれないはただ移り気な、
ああどうでも男は悪性な、

桜々とうたはれて、
言うて袂にわけ二つ、
勤めさへただうかうかと、
どうでも女子は悪性な、
東育ちははすぱな者ぢゃえ。

恋のわけ里数へ数へりゃ、
武士も道具を伏せ編笠で、
張りと意気地の吉原、
花の都は歌でやはらぐ敷島原に、
勤めする身は誰と伏見の墨染、
煩悩菩提の撞木町より、
難波四筋に通ひ木辻の、
禿立から、室の早咲き、
それがほんに色ぢゃ。
ひいふうみいよう。

夜露雪の日、下関路と共にこの身を馴染重ねて、
仲は丸山、ただ丸かれと、
思ひ染めたが縁ぢゃえ。

※歌詞には譜本や流派によって、「鐘/釣鐘」「つく/撞く」「晨朝/晨朝の」「生滅滅已/生滅滅己」「言はず/言わず」「はすぱ/蓮葉」「難波/浪花」「ぢゃえ/じゃえ」などの表記差があります。本記事では使用譜の表記に合わせています。

歌詞全体の意味

道成寺の鐘には、数々の恨みがあります。

初夜の鐘は「諸行無常」と響き、後夜の鐘は「是生滅法」と響きます。朝の鐘には「生滅滅已」、夕暮れの入相の鐘には「寂滅為楽」という、仏教の無常を説く言葉が響いています。

しかし、その鐘の意味を聞いて、本当に驚き、悟りへ向かう人はいません。

自分は、女性にまとわる五障の雲が晴れて、真如の月を夜通し眺めていたい。迷いを離れ、清らかな真理の月を見ていたいと願います。

しかし、言葉にしなくても、語らなくても、自分の心は乱れています。乱れた髪のように心も乱れ、つれない男の移り気に悩まされます。ああ、どうしても男というものは悪性なものです。

桜、桜とうたわれ、袂を分けて舞うような華やかさがあっても、勤めの身はただうかうかと過ぎていきます。どうしても女もまた悪性なものです。江戸育ちの女は、はすっぱで気の強いものなのです。

恋の世界や色里を数え上げてみれば、武士でさえ身分や道具を隠し、編笠をかぶって通ってきます。

張りと意気地の吉原、花の都の島原、伏見の墨染、撞木町、難波の新町、木辻、室津、下関、丸山と、さまざまな土地の遊里が歌い込まれます。

雪の日も夜露の日も、長い道のりを重ねるように、この身は多くの馴染みを重ねてきました。

けれども最後には、丸山の名に掛けて、仲は丸くあってほしい。ただ円満であってほしいと思い染めたのも、これも縁なのです。

「鐘に恨みは数々ござる」

冒頭の「鐘に恨みは数々ござる」は、「新娘道成寺」を道成寺物として印象づける重要な一節です。

道成寺伝説では、清姫に追われた安珍が鐘の中に隠れます。清姫は大蛇となって鐘に巻きつき、安珍を焼き殺したとされます。

そのため鐘は、仏の教えを知らせる神聖な道具であると同時に、清姫の恨みや執念がまとわりつく象徴でもあります。

この曲では、鐘の響きが仏教の無常を告げながら、同時に女心の恨みを呼び起こします。

初夜・後夜・晨朝・入相

歌詞には、一日の中で鐘が撞かれる時刻が並べられています。

意味
初夜夜の初め
後夜夜明け前
晨朝
入相夕暮れ

それぞれの鐘の響きには、次の仏教語が重ねられています。

鐘の時刻響く言葉
初夜諸行無常
後夜是生滅法
晨朝生滅滅已
入相寂滅為楽

これらは、すべてのものは移り変わり、生じたものは必ず滅び、迷いを離れたところに静かな安らぎがある、という無常の教えを表します。

しかし歌詞は、

聞いて驚く人もなし

と続きます。

鐘は真理を告げているのに、人はそれを聞いても悟らない。ここに、仏教的な悟りと、恋に迷う人間の心との対比があります。

「五障の雲」と「真如の月」

「五障」は、古い仏教思想の中で、女性に成仏の妨げがあるとされた考えです。

これは現代的な価値観で肯定するものではなく、古典歌詞に含まれる歴史的な仏教語として理解する必要があります。

「真如」は、迷いを離れた真実そのものを意味する仏教語です。

我は五障の雲はれて、
真如の月を眺めあかさん。

は、迷いの雲が晴れ、真理の月を夜通し眺めていたい、という意味です。

しかし、その直後に「みだれし髪」「移り気な男」と続きます。

悟りを願う言葉がありながら、心は恋の迷いから離れられません。この落差が、曲の大きな聴きどころです。

「言はず語らずわが心」

「言はず語らずわが心」は、口に出さなくても、自分の心は乱れているという意味です。

恨みや恋慕を直接語らなくても、心の奥には消せない思いがあります。

道成寺物では、女性の情念が大きな主題になります。清姫の恋心は、やがて怒りや恨みへ変わり、蛇体へ変じるほどの執着となります。

この歌詞では、そうした女心を、直接的な物語描写ではなく、心の乱れとして表しています。

「みだれし髪のみだるるも」

ここでは、髪の乱れと心の乱れが重ねられています。

古典芸能では、女性の髪は美しさだけでなく、情念や執着、狂乱を表すことがあります。

道成寺物においても、娘姿の美しさの奥には、鐘への恨みと激しい情念が隠れています。

「みだれし髪のみだるるも」という表現は、外見の乱れと心の乱れを一つに結び付けた言葉です。

「男は悪性な」

「悪性」は、ここでは悪人という意味に限らず、性質が悪い、移り気で扱いにくい、恋において厄介であるという意味を持ちます。

歌詞では、

つれないはただ移り気な、
ああどうでも男は悪性な

と歌われます。

男はつれなく、移り気で、女の心を乱します。

ここには、清姫を裏切った安珍の姿も重なりますが、同時に近世的な男女関係や遊里に通う男たちへの皮肉も感じられます。

「桜々とうたはれて」

「桜々とうたはれて」は、娘道成寺系の華やかな舞踊性を思わせる表現です。

桜は、美しさ、若さ、華やかさの象徴です。

しかし、桜はすぐに散る花でもあります。

道成寺物の娘姿も、表面には華やかさがありますが、その内側には鐘への恨み、恋の執着、蛇体へ変じるほどの情念が隠れています。

この部分では、曲が仏教的な鐘の世界から、舞踊的で華やかな娘道成寺の世界へ移っていきます。

「袂にわけ二つ」

「袂」は、着物の袖の下に垂れた部分です。

娘道成寺の舞踊では、袖や袂の扱いが大きな見せ場になります。

「袂にわけ二つ」は、舞の動きや、袖を左右に分ける姿を思わせます。

同時に、心が二つに分かれるような迷い、男と女、悟りと煩悩、恨みと華やかさの二面性も感じさせます。

「女子は悪性な」

歌詞は、男を「悪性」とした後、女もまた「悪性」と歌います。

勤めさへただうかうかと、
どうでも女子は悪性な

ここでは、女もまた恋に迷い、嫉妬し、執着する存在として描かれています。

ただし、この言葉は単純に女性を責めるものではありません。

道成寺物の中心には、裏切られた女性の苦しみがあります。さらに後半では遊里に生きる女性の「勤め」も歌われます。

女を「悪性」と言いながら、その背景には、思いどおりにならない恋や、自由にならない身の上が重なっています。

「東育ちははすぱな者ぢゃえ」

「東育ち」は、東国、特に江戸育ちを思わせる表現です。

「はすぱ」は「蓮葉」とも書き、軽はずみで調子がよい、または気が強く、遠慮のない様子を表します。

ここでは、江戸育ちの女性の気風、遊里の女性の強さやはすっぱさが歌われています。

道成寺伝説そのものは紀州の物語ですが、地歌「新娘道成寺」では、物語の世界が近世の遊里文化へと広がっています。

遊里尽くしの意味

後半には、多くの遊里や地名が詠み込まれます。

  • 吉原
  • 敷島原
  • 伏見
  • 撞木町
  • 難波四筋
  • 木辻
  • 下関
  • 丸山

これらは単なる地名の列挙ではありません。

道成寺伝説の女心を、近世の遊里文化や男女の駆け引きへ広げる部分です。

鐘への恨み、移り気な男、勤めの身、馴染みを重ねる女の境遇が、各地の遊里名を通して華やかに、そして少し皮肉を込めて歌われています。

「恋のわけ里数へ数へりゃ」

「わけ里」は、色里、遊里を思わせる言葉です。

「数へ数へりゃ」と続くため、これから各地の遊里を数え上げていく導入になっています。

同時に「恋のわけ」と読むと、恋の理由や事情を数え上げるようにも聞こえます。

地名尽くしでありながら、恋のさまざまな形を並べていく言葉でもあります。

「武士も道具を伏せ編笠で」

武士であっても、遊里へ通うときには身分や持ち物を隠し、編笠をかぶると歌います。

「道具」は武士の持ち物、特に刀などを連想させます。

身分の高低や表向きの体面を隠してでも、恋や色の世界へ足を運ぶ。

この部分には、人は誰でも煩悩から逃れられないという、冒頭の仏教語ともつながる皮肉があります。

「張りと意気地の吉原」

吉原は江戸を代表する遊里です。

「張り」は気位や見栄、「意気地」は意地や心意気を表します。

吉原の遊女や遊里文化には、ただ客に従うだけではない、張りや意気地があると表現されています。

華やかでありながら、気位を保つ世界として吉原が描かれています。

「敷島原」

「敷島原」は、京都の島原を指す表現として読めます。

「敷島」は日本を表す雅語であり、「島原」と掛けた言い方です。

花の都は歌でやはらぐ敷島原に

という表現には、京都らしい雅やかさ、歌によって心が和らぐ趣、そして島原の遊里文化が重ねられています。

江戸の吉原が「張りと意気地」で表されるのに対し、京都の島原は「歌でやはらぐ」都の風情として表されています。

「伏見の墨染」

伏見の墨染は、京都伏見の地名です。

「墨染」は、黒く染めた衣や喪の色を連想させる言葉でもあります。

遊里尽くしの中では、地名でありながら、恋の暗さや物思いの色も感じさせる表現です。

「勤めする身は誰と伏見の墨染」という言葉には、誰と契り、誰を思うとも定まらない勤めの身の寂しさがにじみます。

「煩悩菩提の撞木町」

「煩悩菩提」は、迷いと悟りが離れたものではないという仏教的な言葉です。

撞木町は、名古屋の遊里として知られる地名です。

「撞木」は鐘を撞く道具でもあります。

そのため、この語は冒頭の鐘と響き合います。

曲は「鐘に恨みは」から始まり、遊里尽くしの中で「撞木町」へ至ることで、鐘のイメージをもう一度呼び戻しています。

恋の迷いである煩悩と、悟りである菩提が同じところにあるという表現も、この曲全体の構造に合っています。

「難波四筋」と「木辻」

「難波四筋」は、大坂新町遊郭の四つの筋を指す表現と捉えられます。

「木辻」は奈良の遊里として知られる地名です。

吉原、島原、伏見、撞木町から、難波、木辻へと地名が広がることで、歌詞は一つの土地に限定されず、各地の色里を数え上げるように展開します。

「禿立から、室の早咲き」

「禿」は、遊女に仕える少女を指します。

「禿立」は、幼いころから遊里に入り、やがて遊女として成長していく過程を思わせる言葉です。

「室」は、播磨の室津を指すと考えられます。室津は港町として栄え、遊女でも知られた土地です。

「早咲き」は、年若くして色里に出ることや、早くから色気を見せることを含んだ表現として読むことができます。

華やかな遊里尽くしの中にも、幼いころから勤めの世界へ入る女性の境遇が垣間見えます。

「それがほんに色ぢゃ」

ここでいう「色」は、色彩ではなく、男女の情愛、恋、色事を意味します。

遊里尽くしを経て、歌詞は「それこそが本当に色というものだ」と言い切ります。

仏教的な無常から始まった歌詞が、ここでは近世的な恋と色の世界へ大きく転じています。

この振れ幅が、「新娘道成寺」の面白さです。

「ひいふうみいよう」

「ひいふうみいよう」は、数を数える声です。

前の「恋のわけ里数へ数へりゃ」と対応し、各地の遊里や恋の数々を数え上げていく響きを持っています。

地歌らしい洒落とリズム感のある部分で、重い道成寺伝説の中に軽妙さを加えています。

「夜露雪の日、下関路」

夜露の降りる日も、雪の日も、下関へ向かう道のように、長く険しい道を重ねるという意味に読めます。

遊里に生きる身は、季節や天候にかかわらず、馴染みを重ねていきます。

華やかな言葉の裏に、勤めの身の厳しさや、思いどおりにならない境遇が感じられます。

「仲は丸山、ただ丸かれ」

丸山は長崎の遊里として知られる地名です。

「丸山」の「丸」に掛けて、

仲は丸山、ただ丸かれ

と歌います。

男女の仲が丸く収まるように、円満であるようにという願いが込められています。

ここまで、鐘への恨み、男と女の悪性、遊里の勤め、馴染みを重ねる身が歌われてきました。

最後は、それでも縁があるなら仲は丸くあってほしい、という言葉で結ばれます。

「道成寺物」としての見方

「新娘道成寺」は、能『道成寺』や歌舞伎舞踊『京鹿子娘道成寺』と同じく、道成寺物の系譜にあります。

ただし、能や歌舞伎と同じ筋をそのまま音楽にしたものではありません。

道成寺伝説を背景にしながらも、歌詞は鐘への恨み、仏教語、女心、遊里尽くしへと広がっていきます。

清姫の物語だけでなく、近世の男女関係や遊里文化を重ね合わせた、地歌ならではの道成寺物といえます。

「鐘ヶ岬」との関係

「新娘道成寺」は、「鐘ヶ岬」と同曲または近い伝承として扱われることがあります。

辞典類では、生田流では「新娘道成寺」、山田流では「鐘ヶ岬」と呼ぶと説明されます。また、生田流でも関西では「鐘ヶ岬」と呼ぶ人が多いとされます。

このため、演奏会や譜本、音源を探す際には、次の表記を確認するとよいです。

  • 新娘道成寺
  • 鐘ヶ岬
  • 鐘が岬
  • 新鐘ヶ岬

曲名が違っても、同じ系統の曲を指している場合があります。

曲の構成

「新娘道成寺」は、古い「娘道成寺」系統の曲に手事を加え、本調子の手事物へ改めたものと説明されます。

大きくは、次のように捉えると分かりやすいです。

  1. 鐘への恨みと仏教語を歌う前半
  2. 女心の乱れと恋の不実を歌う部分
  3. 手事
  4. 遊里尽くしへ展開する後半

手事を持つことで、単なる端歌ではなく、器楽的な聴きどころを備えた京流手事物として成立しています。

手事の聴きどころ

手事は、歌詞から離れて三絃や箏が展開する部分です。

「新娘道成寺」では、道成寺物らしい劇的な背景を持ちながらも、手事そのものは地歌らしく、旋律の運び、掛け合い、間によって聴かせます。

鐘の響き、女心の乱れ、舞踊的な華やかさを直接写実するというより、歌で示された感情を器楽へ引き継ぐ部分として捉えるとよいです。

演奏では、技巧を前面に出しすぎると、冒頭の鐘や女心とのつながりが薄れます。

前半の情念を受け、後半の遊里尽くしへ向かう橋渡しとして手事を扱うことが大切です。

箏手付の伝承

「新娘道成寺」は、箏手付にも複数の伝承があります。

宮原検校の中空調子による手付のほか、本田勾当、葛原勾当、米川琴翁など、さまざまな手付があると紹介されます。

これは、この曲が多くの演奏家に取り上げられ、流派や地域によってさまざまな形で受け継がれてきたことを示しています。

記事内では、特定の箏手付を一つに断定せず、使用譜や演奏流派に応じて説明を補うのが適切です。

三絃の役割

三絃は、歌詞の劇的な展開を支える中心的な役割を持ちます。

冒頭の「鐘に恨みは」では、強い言葉を支える緊張感が必要です。

仏教語が続く部分では、荘重さを持ちながらも重くなりすぎず、鐘の響きを感じさせます。

女心や遊里尽くしの部分では、言葉の洒落、地名の連なり、舞踊的なリズムを明瞭に伝える必要があります。

箏の役割

箏は、三絃の歌や旋律に彩りと広がりを加えます。

鐘の響きや仏教的な厳粛さだけでなく、桜や遊里の華やかさ、女心の揺れを音色で支えます。

手付によって性格が変わるため、使用している箏手付がどの系統かを確認すると、演奏解釈もしやすくなります。

尺八の役割

尺八を加えた三曲合奏では、尺八が歌と絃方の間へ息の線を加えます。

冒頭では、鐘や無常を感じさせる深い音色が効果的です。

一方、後半の遊里風の部分では、重く暗くなりすぎず、三絃と箏の動きに寄り添います。

道成寺伝説の恐ろしさだけを強調すると、曲全体の華やかさや洒落が失われます。

演奏するときのポイント

鐘の恨みを冒頭で示す

冒頭の言葉が弱いと、曲全体の印象が曖昧になります。

「鐘に恨みは数々ござる」は、道成寺物の世界を開く重要な一節です。

強く叫ぶのではなく、長く積もった恨みがにじむように表現します。

仏教語を平板にしない

「諸行無常」「是生滅法」「生滅滅已」「寂滅為楽」は、単なる難しい言葉ではありません。

鐘の音に重ねられた無常の教えであり、曲の精神的な土台です。

言葉を明瞭にし、節の中で重みを持たせます。

女心の変化を描く

悟りを願う言葉から、乱れ髪、移り気な男、遊里尽くしへと、歌詞は大きく変化します。

同じ調子で歌い続けるのではなく、荘重さ、恨み、艶、皮肉、華やかさを場面ごとに変化させます。

道成寺伝説だけに固定しすぎない

「新娘道成寺」は、清姫の物語を背景に持ちますが、歌詞の後半には遊里風俗や近世的な男女関係も入っています。

安珍・清姫の悲恋だけでなく、道成寺物が芸能化され、華やかな舞踊や地歌へ広がっていった作品として捉えると、曲の幅が見えてきます。

手事を劇的にしすぎない

物語の背景は激しいですが、手事は地歌としての品格が必要です。

感情を煽りすぎず、三絃・箏・尺八の掛け合いと間を整えます。

「新娘道成寺」の聴きどころ

  • 冒頭の「鐘に恨みは」に込められた強い導入
  • 初夜・後夜・晨朝・入相の鐘に重ねられる仏教語
  • 五障の雲と真如の月による悟りの表現
  • 乱れ髪に重なる女心の乱れ
  • 男も女も「悪性」と歌う恋の皮肉
  • 桜や袂に感じられる舞踊的な華やかさ
  • 吉原・敷島原・伏見・撞木町などの遊里尽くし
  • 「撞木町」によって冒頭の鐘へ戻る言葉のつながり
  • 手事による地歌らしい器楽的展開
  • 能・歌舞伎とは異なる、歌と絃による道成寺物の表現

関連する用語

記事末尾では、用語集の登録状況を確認し、次の用語をリンク候補とします。

表示する関連用語

  • 地歌
  • 箏曲
  • 京流手事物
  • 手事
  • 本調子
  • 中空調子
  • 箏手付
  • 三曲合奏
  • 検校
  • 勾当
  • 掛詞
  • 縁語

未作成なら新規作成を提案する用語

道成寺物|優先度:高
「新娘道成寺」だけでなく、能『道成寺』、歌舞伎舞踊『京鹿子娘道成寺』、長唄、義太夫、地歌を横断して説明できる重要語です。

鐘ヶ岬|優先度:高
「新娘道成寺」と同曲名・異名として扱う必要があります。検索流入や曲名整理のため、独立ページまたはリダイレクト的な用語ページがあると便利です。

五障|優先度:中〜高
古典歌詞や仏教語の理解に関わります。現代的価値観とは区別し、歴史的な仏教語として解説する必要があります。

真如|優先度:中
「真如の月」の理解に必要です。仏教語として、古典歌詞に登場する場合に再利用できます。

遊里尽くし|優先度:中
吉原、敷島原、伏見、撞木町などを並べる詞章を理解するための補助語として有用です。

撞木町|優先度:低〜中
歌詞中の地名理解には役立ちますが、まずは記事内解説で十分です。遊里関係の記事が増えた段階で用語化します。

関連人物

  • 菊岡検校
  • 石川勾当
  • 藤本斗文
  • 宮原検校
  • 本田勾当
  • 葛原勾当
  • 米川琴翁
  • 安珍
  • 清姫

作曲者については諸説があるため、人物リンクを入れる場合は「菊岡検校または石川勾当」と併記し、本文でも断定を避けます。

関連する曲・芸能

  • 鐘ヶ岬
  • 京鹿子娘道成寺
  • 道成寺
  • 新道成寺
  • 竹生島
  • 今小町
  • 芥子の花
  • 茶音頭
  • 夕顔

「鐘ヶ岬」は同曲名・異名として優先的に関連付けます。「京鹿子娘道成寺」や能『道成寺』は、同じ道成寺物として比較記事を作ると内部リンクしやすくなります。

まとめ

「新娘道成寺」は、安珍・清姫の道成寺伝説を背景にした地歌・箏曲です。

生田流では「新娘道成寺」、山田流や関西の伝承では「鐘ヶ岬」と呼ばれることがあります。作曲または改作は、菊岡検校または石川勾当とする説があり、箏手付にも複数の伝承があります。

歌詞は、鐘への恨みから始まり、初夜・後夜・晨朝・入相の鐘に仏教語を重ねます。その後、五障の雲、真如の月、乱れ髪、移り気な男、遊里尽くしへと展開します。

道成寺伝説の激しい情念を背景にしながら、近世の遊里文化や男女の駆け引きも取り込み、重さと華やかさをあわせ持つ作品です。

能や歌舞伎のように舞台上で鐘へ飛び込む劇的な見せ場はありませんが、歌、三絃、箏、尺八によって、鐘に宿る恨みと女心の揺れを深く味わえる曲です。

参考資料

  • コトバンク「新娘道成寺」
  • 日本伝統文化振興財団『箏曲地歌大系』
  • 道成寺公式サイト「安珍と清姫の物語」
  • 地唄三味線おと遊び「新娘道成寺」
  • 道成寺物、鐘ヶ岬、娘道成寺に関する地歌・箏曲資料