曲目・歌詞解説

笹の露|歌詞の意味・菊岡検校・和漢の酒の故事と酒の徳を解説

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「笹の露」は、孔子や仏、出雲神話から中国の詩人まで、和漢の酒にまつわる故事を読み上げ、酒の徳を讃えた地歌箏曲です。

曲名は「ささのつゆ」と読みます。三絃作曲は菊岡検校(1792~1847年、勾当名は楚明一)、作詞は島田両三(両造)、箏手付八重崎検校によるもので、別名を「酒」ともいいます。江戸後期に成立した京流手事物です。

「笹の露」は、酒にまつわる和漢の故事を次々と引きながら、聖人や神話上の人物まで酒の話題に巻き込んでいく、洒脱で明るい味わいの曲です。

「笹の露」の基本情報

項目内容
曲名笹の露(別名:酒)
読みささのつゆ
分類地歌・箏曲、京流手事物
作詞島田両三(両造)
三絃作曲菊岡検校(1792~1847年、勾当名:楚明一)
箏手付八重崎検校
主な編成歌・三絃、箏(尺八を加えた演奏例もある)
成立江戸後期
主題孔子・仏・出雲神話・中国の詩人など、和漢の酒にまつわる故事を読み上げ、酒の徳を讃える曲

「笹の露」は菊岡検校作曲、八重崎検校箏手付による京流手事物で、別名を「酒」ともいいます。孔子や仏の言葉、記紀神話にまつわる酒の故事、劉伯倫や李太白といった中国の酒客など、和漢の酒にまつわる話題を次々に織り込んだ詞章が特徴です。

「笹の露」とは

「笹の露」は、酒そのものを主題に、和漢の故事を次々と引きながら、その徳を讃えた曲です。

「論語」に見える孔子の逸話や、仏教における酒の戒め、出雲神話で須佐之男命が大蛇を平らげた故事、そして中国の伝説的な酒豪である劉伯倫や李太白まで、日本と中国の酒にまつわる話題が盛り込まれています。堅苦しい教養を歌いながらも、全体としては軽妙で洒脱な味わいを持つ、いわば「酒讃歌」というべき曲です。

なお「笹の露」という曲名は、酒そのものの雅な異名としても古くから用いられてきた言葉で、笹の葉に置く露を酒に見立てた、風流な表現です。曲の内容が丸ごと酒を讃えるものであることと、この曲名はよく響き合っています。

笹の露の歌詞

酒は量りなしと宣ひし、聖人は上戸にやましましけん。三十六の失ありと諫め給ひし仏は、下戸にやおはすらん。何はともあれ八雲立つ、出雲の神は八しぼりの、酒に大蛇を平げ給ふ。これみな酒の徳なれや。

大石さけつる畏みも、尊の酔の進むなり。姫の尊の待ち酒を、ささよ、ささとの言の葉に、伝へ伝へて今世の人も、きこし召せ、ささ、きこし召せ、ささ。

劉伯倫や李太白、酒を呑まねばただの人。

吉野龍田の花紅葉、酒がなければただの所。よいよい、よいの、よいやさ。

※本記事の歌詞は、ご提供いただいた尺八譜に掲載された詞章を底本としています。判読の難しい箇所は本記事冒頭の備考をご参照ください。譜本や流派によって表記が異なる場合もあります。

歌詞全体の意味

「酒には定まった量りなどない」とおっしゃった聖人(孔子)は、きっと大酒飲みでいらっしゃったのでしょう。一方、酒には三十六もの過ちがあると戒められた仏は、きっとお酒を召し上がらない下戸でいらっしゃったのでしょう。何はともあれ、八雲立つ出雲の神(須佐之男命)は、幾重にも醸した強い酒で、大蛇を平らげなさいました。これもみな、酒の徳のなせるわざでしょう。

続いて、記紀に伝わる酒の故事が引かれます。「大石さけつる畏み」「尊の酔」「姫の尊の待ち酒」と、古代の神・天皇にまつわる酒の伝承を重ね、「ささよ、ささ」と酒を勧める言葉へつなげます。語り継がれてきた酒を、今の世の人にも「きこし召せ(召し上がれ)」と陽気に勧める一節です。

あの劉伯倫や李太白でさえ、酒を呑まなければ、ただの人にすぎません。

吉野の桜や龍田の紅葉という名高い景勝も、酒がなければ「ただの所」にすぎない、と大胆に酒の力を讃えます。結びの「よいよい、よいの、よいやさ」は、囃子言葉のような明るい調子で曲を締めくくります。

曲名「笹の露」の意味

「笹の露」は、笹の葉に置く露を、酒に見立てた雅な表現です。古くから酒そのものの異名としても用いられてきました。

この曲では、曲名そのものが酒を意味する言葉であることに加え、詞章全体が酒の徳を讃える内容になっている点が、大きな特徴です。

曲名には、

  • 笹の葉に置く露を酒に見立てた、風流な言葉遊び
  • 孔子と仏という、儒教・仏教の聖人にまつわる酒の逸話
  • 出雲神話に見る、酒の力による大蛇退治
  • 劉伯倫・李太白という、中国の伝説的な酒豪たちへの言及

といった趣向が重ねられています。

「酒は量りなしと宣ひし聖人は上戸にやましましけん三十六の失ありと諫め給ひし仏は下戸にやおはすらん」

冒頭では、孔子と仏、二人の聖人と酒の関係が、ユーモラスに歌われます。

「酒は量りなし」は、『論語』にある「酒は量なし、乱に及ばず」(酒の量に決まりはなかったが、乱れるまでは飲まなかった)という孔子の逸話を踏まえています。一方、仏教には飲酒の三十六の過失を説く教えがあり、こちらは酒を戒めた側として対比されます。同じ聖人でありながら、上戸(酒好き)と下戸(下戸)に分かれるという、洒落た対比から曲は始まります。

「何はともあれ八雲立つ出雲の神は八しほりの酒に大蛇を平げ給ふこれみな酒の徳なれや」

続いて、出雲神話における酒の力が歌われます。

「八雲立つ」は出雲にかかる枕詞です。須佐之男命が、幾重にも醸した強い酒(八塩折の酒)を用いて八岐大蛇を酔わせ、退治したという神話が引かれ、これもまた酒の徳のひとつだと讃えられます。

「大石さけつる畏みも尊の酔の進むなり姫の尊の待ち酒をささよささとの言の葉に伝へ伝へて今世の人もきこし召せささきこし召せささ」

この一節には、『古事記』『日本書紀』などに伝わる古代の酒の故事が重ねられています。

「姫の尊の待ち酒」は、記紀にみえる待酒の伝承を踏まえた表現です。そこから「ささよ、ささ」と酒を勧める言葉へ移り、古くから語り継がれてきた酒を「今世の人も、きこし召せ」と勧める、祝祭的で洒脱な流れになっています。

「劉伯倫や李太白酒を呑まねばただの人」

続く一節では、中国の伝説的な酒豪二人が引き合いに出されます。

劉伯倫(劉伶)は「竹林の七賢」のひとりとして知られる酒好きの文人、李太白(李白)は「詩仙」と呼ばれた唐代の大詩人で、こちらも酒を愛したことで知られています。これほどの人物でさえ、酒を呑まなければただの人にすぎない、という一節には、酒の効能を讃える洒脱なユーモアが感じられます。

「吉野龍田の花紅葉酒がなければただの所よいよいよいのよいやさ」

結びでは、日本の名所である吉野の桜と龍田の紅葉が引き合いに出されます。

これほど名高い景勝でさえ、酒がなければ「ただの所」にすぎない、と誇張して酒を讃えます。最後は「よいよい、よいの、よいやさ」という囃子言葉風の明るい調子で、陽気に締めくくられます。

他の曲との関連

「笹の露」の合の手(間奏の旋律)の一部は、同じく京流手事物の「萩の露」の前歌の合の手と合うように作られているとされています。曲名も「〇〇の露」と揃っており、あわせて演奏・鑑賞すると、京流手事物同士のつながりを感じることができます。

演奏するときのポイント

聖人と俗人、対比のユーモアを楽しむ

冒頭の孔子と仏の対比をはじめ、この曲には随所にユーモラスな対比が織り込まれています。堅苦しくなりすぎず、洒脱な語り口を意識して演奏することが大切です。

和漢の故事を手際よく描き分ける

出雲神話、中国の酒豪、日本の名所と、次々と異なる話題が展開します。それぞれの故事の背景を意識しながら、テンポよく歌い進めることが求められます。

結びの囃子言葉を陽気に

結びの「よいよい、よいの、よいやさ」は、酒宴の高揚を思わせる囃子言葉風の部分です。重くなりすぎず、洒脱で陽気な気分を保って締めくくります。

「笹の露」の聴きどころ

  • 孔子と仏、対照的な二人の聖人と酒の逸話
  • 「八雲立つ」出雲神話に見る、大蛇退治と酒の力
  • 記紀の「待酒」の故事を思わせる、由緒ある一節
  • 劉伯倫・李太白という、中国の伝説的な酒豪への言及
  • 吉野・龍田の名所さえも酒には及ばないとする、洒脱な結び
  • 「よいよい、よいの、よいやさ」という、陽気な囃子言葉風の結び
  • 「萩の露」と合の手が合うように作られた、曲同士のつながり
  • 曲名そのものが酒の雅な異名でもある、洒落た趣向

まとめ

「笹の露」は、菊岡検校作曲、八重崎検校箏手付による地歌・箏曲の京流手事物で、別名を「酒」ともいいます。

孔子や仏の言葉、出雲神話、中国の酒豪の故事、日本の名所と、和漢の酒にまつわる話題を次々と引きながら、酒の徳を讃えた、洒脱で明るい味わいの曲です。「萩の露」とは合の手が合うように作られており、京流手事物同士のつながりも感じさせます。

演奏を聴く際は、聖人と俗人の対比のユーモアや、和漢の故事の描き分け、そして結びに描かれる陽気な酔いの足取りにも耳を傾けると、曲の魅力がより深く味わえます。