夏の曲|歌詞の意味・吉沢検校・古今組の夏景色を解説

「夏の曲」は、二世吉沢検校が『古今和歌集』の夏歌四首をもとに作曲した箏曲です。
「春の曲」「秋の曲」「冬の曲」と同じく、吉沢検校の古今組に含まれる作品で、古今和歌集の和歌を箏歌曲として再構成しています。もとは箏一面の歌曲でしたが、のちに松阪春栄が手事と替手を加え、現在では本手・替手による合奏曲として演奏されることが多くなっています。日本伝統文化振興財団の録音資料でも、「古今和歌集」夏の部より四首、作曲は吉沢検校、手事・替手は松阪春栄と整理されています。
「夏の曲」の基本情報
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 曲名 | 夏の曲 |
| 読み | なつのきょく |
| 分類 | 箏曲・古今組 |
| 作詞 | 『古今和歌集』夏歌より四首 |
| 作曲 | 二世吉沢検校 |
| 手事・替手 | 松阪春栄 |
| 成立 | 幕末ごろ。手事・替手は明治期に補作 |
| 調弦 | 古今調子 |
| 構成 | 前弾・歌四首・手事・後歌的結び |
| 主な編成 | 歌・箏本手・箏替手、尺八を加える演奏など |
| 主題 | ほととぎす、夏山、蓮、露、夏から秋への移ろい |
「夏の曲」は、春の華やぎを描く「春の曲」と比べると、涼しさ、寂しさ、古都の記憶、濁りの中の清らかさ、季節の境目といった、やや静かで内省的な夏の情景が中心になります。
「夏の曲」とは
「夏の曲」は、吉沢検校が『古今和歌集』の夏の歌を選び、箏の歌曲として作った作品です。
吉沢検校の古今組は、恋や遊里の情緒を中心とする地歌とは性格が異なり、和歌の言葉を箏の音色で味わう作品群です。「夏の曲」も、物語を語る曲ではなく、四首の和歌によって夏の時間と情趣をたどります。
前唄には雅楽風の響きがあり、「捨翠楽」という古い雅楽の手を取り入れ、水の流れる景を写すと説明されることがあります。吉沢検校の古今組では、雅楽や古典和歌への関心が、箏曲の響きとして表れています。
夏の曲の歌詞
いそのかみ
古き都のほととぎす
声ばかりこそ昔なりけれ夏山に
恋しき人や入りにけむ
声ふりたてて鳴くほととぎす蓮葉の
濁りにしまぬ心もて
何かは露を玉とあざむく夏と秋と
行きかふ空の通ひ路は
かたへ涼しき風や吹くらむ
※歌詞には譜本や流派によって、「石の上/いそのかみ」「郭公/ほととぎす」「声ふりたてて/声振りたてて」「蓮葉/はちすば」「濁りにしまぬ/濁りに染まぬ」「行きかふ/行き交ふ」「かたへ/片方」などの表記差があります。本記事では使用譜の表記に合わせて整えます。
この四首は『古今和歌集』夏歌から採られたもので、資料では、順に素性法師、紀秋岑、僧正遍昭、凡河内躬恒の歌として紹介されています。
歌詞全体の意味
石上の古い都で鳴くほととぎす。その声だけは、昔と変わらずに聞こえます。
夏山で、恋しい人が山の中へ入ってしまったのでしょうか。ほととぎすは、その人を慕うかのように、声を振りしぼって鳴いています。
蓮の葉は、濁った泥水の中にありながら、その濁りに染まらない清らかな心を持っています。それなのに、どうして葉の上の露を、まるで玉のように見せかけるのでしょうか。
夏と秋が行き交う空の通い路には、片側だけに涼しい風が吹いているのでしょうか。まだ夏でありながら、どこかに秋の気配が忍び寄っています。
曲が描く夏の流れ
「夏の曲」は、夏の盛りを単純に明るく描く曲ではありません。
第一首では、古い都に響くほととぎすの声が、昔と今を結びます。第二首では、夏山に入った恋しい人を思うように、ほととぎすが激しく鳴きます。
第三首では、情景が蓮の葉へ移ります。濁った水に根を置きながら、清らかさを保つ蓮。その葉の上で光る露が、玉のように見えることを、少し皮肉を込めて詠んでいます。
第四首では、夏と秋の境目が描かれます。暑さの中に、ふと涼しい風が吹く。夏が終わりに近づき、秋が近づいていることを感じさせます。
つまり「夏の曲」は、初夏のほととぎすから、夏山、蓮の露、夏と秋の境目へと進む曲です。華やかな夏ではなく、音、記憶、恋慕、清らかさ、季節の移ろいによって夏を描いています。
「いそのかみ古き都のほととぎす」
第一首の「いそのかみ」は、石上と書かれることがあります。
「古き都」は、かつて栄えた都、あるいは古代の記憶を残す土地を思わせます。
そこに聞こえるのが、ほととぎすの声です。
人の世や都の姿は変わってしまいます。しかし、ほととぎすの声だけは昔のままに聞こえる。
この歌では、夏の鳥の声を通して、過ぎ去った時代への思いが描かれています。
「春の曲」の冒頭では、鶯の声によって春が訪れました。それに対して「夏の曲」では、ほととぎすの声が夏を知らせると同時に、古い都の記憶を呼び起こします。
ほととぎすの声
ほととぎすは、古典和歌において夏を代表する鳥です。
春の鶯に対して、夏のほととぎすは、鋭く遠く響く声によって季節を知らせます。
ただし、ほととぎすの声は、単に爽やかな夏の音ではありません。
古典和歌では、ほととぎすは恋しさ、待つ心、過去への追憶、死者への思いなどとも結び付けられます。
「夏の曲」でも、ほととぎすは第一首と第二首に続けて登場します。第一首では古い都の記憶を呼び起こし、第二首では恋しい人を思う声として響きます。
「夏山に恋しき人や入りにけむ」
第二首では、ほととぎすが声を振りしぼって鳴く理由を、恋しい人が夏山へ入ってしまったからではないかと想像しています。
「入りにけむ」は、山の中へ入ってしまったのだろうか、という推量を含んだ表現です。
ここでの夏山は、明るい行楽の山ではありません。恋しい人を隠してしまう場所であり、声だけが響く場所です。
ほととぎすの鳴き声は、人の恋心と重ねられています。
鳥が鳴いているのか、人が恋しさに声をあげているのか。自然の声と人の心が重なるところに、この歌の味わいがあります。
「声ふりたてて鳴くほととぎす」
「声ふりたてて」は、声を張り上げる、声を振りしぼるように鳴くことを表します。
ほととぎすの声は、やわらかく長く続く鶯の声とは異なり、鋭く、切実に響きます。
演奏でも、この部分では、単に美しい鳥の声を表すだけでは足りません。
恋しい人を探し求めるような切迫感、夏山に響き渡る声の強さを感じさせる必要があります。
「蓮葉の濁りにしまぬ心」
第三首では、ほととぎすから蓮の葉へ情景が変わります。
蓮は泥水の中に根を張りながら、美しい花を咲かせ、清らかな葉を広げます。
そのため、蓮は仏教的な清浄さや、俗世の濁りに染まらない心の象徴として扱われます。
「濁りにしまぬ心」とは、濁った水の中にありながら、その濁りに染まらない心です。
この歌では、蓮の清らかさを認めたうえで、しかしその葉の上の露を玉のように見せるのは、なぜなのかと問いかけます。
清らかであるはずの蓮が、露を宝石のように見せて人を惑わせる。そこに、清浄と錯覚、真実と見せかけの微妙な関係が表れています。
「露を玉とあざむく」
蓮の葉の上に置いた露は、丸く光り、玉のように見えます。
しかし、それは本当の玉ではありません。
「あざむく」は、だます、見誤らせるという意味です。
ここには、自然の美しさに対する賛美と同時に、その美しさが人の目を惑わせるという皮肉があります。
蓮は濁りに染まらない清らかなものです。それなのに、葉の露は玉のように見えて、人をあざむきます。
この歌は、夏の景物を描きながら、人の心や世の中のあり方にも通じる深い内容を持っています。
「夏と秋と行きかふ空」
第四首では、季節は夏の終わりへ向かいます。
「行きかふ」は、行き交うことです。
夏と秋が空の通い路を行き交っているという表現によって、季節が交代する瞬間が描かれます。
まだ暦の上では夏であっても、風の中に秋の気配が混じり始める。
この歌は、夏の終わりの微妙な感覚を非常に繊細に表しています。
「かたへ涼しき風や吹くらむ」
「かたへ」は片方、片側という意味です。
夏と秋が行き交う空の道の片側には、もう涼しい風が吹いているのだろうか。
ここでは、夏の暑さと秋の涼しさが同時に存在しています。
身体にはまだ夏の熱が残っているのに、ふとした風に秋を感じる。その一瞬の感覚が、この結びの歌に込められています。
「夏の曲」は、この涼しい風によって閉じられます。
ほととぎすの声で始まった夏は、最後には秋の気配を含む風へと移っていきます。
古今組としての「夏の曲」
古今組は、吉沢検校が『古今和歌集』などの和歌をもとに作曲した箏曲の作品群です。
代表的には、次の五曲が挙げられます。
- 千鳥の曲
- 春の曲
- 夏の曲
- 秋の曲
- 冬の曲
「夏の曲」は、その中で夏歌四首を用いた作品です。
吉沢検校は、従来の箏曲や組歌を意識しながら、和歌の朗唱的な美しさと、箏の調弦による新しい響きを組み合わせました。古今組では、古今調子という特徴的な調弦が用いられます。
古今調子
「夏の曲」は、古今調子を用いる曲として知られています。
古今調子は、吉沢検校が古今組のために工夫した調弦です。
平調子や雲井調子とは異なる響きを持ち、和歌を朗唱するような歌に、雅やかで少し硬質な音色を与えます。
具体的な柱の位置や音高は、流派・譜本・演奏形態によって確認が必要です。記事内で音名を示す場合は、使用譜の調弦表に合わせます。
松阪春栄による手事と替手
現在演奏される「夏の曲」は、松阪春栄が加えた手事と替手を含む形で知られています。
松阪春栄は、明治・大正期に活躍した地歌・箏曲家で、吉沢検校の古今組のうち「春の曲」「夏の曲」「秋の曲」「冬の曲」に手事や替手を加え、これらを華やかにして流行させたことで知られます。
もとの吉沢検校の作品は、和歌を中心とする箏一面の歌曲でした。
そこへ松阪春栄が長い器楽部分と替手を加えたことで、「夏の曲」は本手・替手による合奏曲としての魅力を持つようになりました。
手事の構成
「夏の曲」の手事部は、マクラ、手事二段、チラシから成ると説明されることがあります。手事二段は段合わせが可能とされ、器楽的な合奏の面白さを備えています。
ただし、手事の呼び方や区切りは、譜本や流派によって扱いが異なる場合があります。記事では、使用譜の段落名に合わせて記載するのが安全です。
手事は、四首の和歌のあいだで、言葉では語られない夏の気配を広げる部分です。
ほととぎすの声、夏山の奥行き、蓮の葉の上を転がる露、秋へ向かう涼しい風。こうした景色が、箏の本手と替手によって器楽的に展開されます。
本手と替手
本手は曲の中心となる手で、吉沢検校の原曲を基礎とする部分です。
替手は松阪春栄が補ったもう一つの箏の手で、本手に対して異なる旋律や動きを加えます。
替手は単なる伴奏ではありません。
本手と絡み合い、和歌の静かな世界に、夏の光、風、水、鳥の声を感じさせる広がりを与えます。
「夏の曲」では、春の曲ほど花や色彩の華やかさを前面に出すのではなく、澄んだ音色、涼しさ、少し落ち着かない夏の気配を表すことが重要です。
尺八を加えた演奏
「夏の曲」は、箏本手・箏替手に尺八を加えて演奏されることもあります。
尺八は、箏の音色に息の線を加えます。
ほととぎすの声を写実的にまねるというより、夏山の空気、古都の静けさ、蓮の池の涼しさ、夏から秋へ変わる風を支える役割を持ちます。
箏二面の細かな合奏を隠さず、音を出さない間も含めて、和歌の余韻を生かすことが大切です。
「夏の曲」の曲構成
「夏の曲」は、一般に次のように捉えると分かりやすいです。
- 前弾
- 第一歌「いそのかみ」
- 第二歌「夏山に」
- 第三歌「蓮葉の」
- 手事
- 第四歌「夏と秋と」
前弾
前弾では、古今組らしい雅やかな響きが作られます。
雅楽風の響きがあり、和歌を歌い始めるための場を整えます。
前半の歌
第一歌と第二歌では、ほととぎすが中心になります。
第一歌では昔と今をつなぐ声、第二歌では恋しい人を思う切実な声として描かれます。
蓮の歌
第三歌では、情景が水辺へ移ります。
濁りの中の清らかさ、露の美しさと見せかけが、静かで深い夏の景色を作ります。
手事
手事では、箏の本手と替手が絡み合い、夏の気配を器楽的に広げます。
結びの歌
第四歌では、夏と秋の境目が歌われます。
最後は、ほととぎすの声ではなく、涼しい風によって閉じられます。
演奏するときのポイント
和歌の順序を意識する
四首は、ただ並んでいるのではなく、夏の時間を進めるように置かれています。
ほととぎす、夏山、蓮、夏と秋の境目という流れを意識すると、曲全体の形が見えやすくなります。
ほととぎすを明るくしすぎない
ほととぎすは夏を告げる鳥ですが、古典和歌では恋しさや追憶も含みます。
第一歌では古い都の記憶、第二歌では恋しい人への思いを込めます。
蓮の歌で静けさを作る
第三歌は、華やかに盛り上げる部分ではありません。
蓮の葉、露、濁りに染まらない心という、静かで象徴的な世界を表します。
手事を涼やかに整える
松阪春栄の手事は大きな聴きどころですが、技巧だけを前面に出すと、和歌の品格が失われます。
音の粒を明瞭にしながら、夏の水辺や風の涼しさを感じさせます。
最後に秋の気配を残す
第四歌は、夏の終わりを感じさせます。
明るく終えるのではなく、どこか涼しい風が吹き、次の季節へ移っていく余韻を残します。
「夏の曲」の聴きどころ
- 古都に響くほととぎすの声
- 昔と今を結ぶ第一歌
- 夏山に響く恋慕のほととぎす
- 蓮の葉と露に込められた清らかさと皮肉
- 古今調子の雅やかな響き
- 松阪春栄による手事と替手
- 本手と替手の絡み合い
- 夏から秋へ移る涼しい風
- 古今和歌集の夏歌を箏歌曲として味わう典雅さ
まとめ
「夏の曲」は、二世吉沢検校が『古今和歌集』の夏歌四首をもとに作曲した箏曲です。
吉沢検校の古今組に含まれ、ほととぎす、夏山、蓮の葉、露、夏から秋へ移る風によって、夏の情景を描きます。
もとは箏一面の歌曲でしたが、のちに松阪春栄が手事と替手を補作し、現在では本手・替手による合奏曲として演奏されることが多くなっています。
「夏の曲」は、夏の明るさだけを描く曲ではありません。古い都に響く声、恋しい人を思うほととぎす、蓮の清らかさと露のあやうさ、そして秋へ向かう涼しい風。四首の和歌を通して、夏の深さと移ろいを味わう作品です。