地歌の地域的な系譜|九州系・大阪系・京都系(京流)の違い

地歌は、江戸時代に京都・大坂を中心とする上方で発展した、三味線の弾き歌いによる音楽です。
ひと口に地歌といっても、その伝承は一様ではありません。大坂で発達した手事物、京都で洗練された京流手事物、九州で独自の演奏様式を形成した九州系地歌など、地域や芸系によって異なる特色が受け継がれてきました。
ただし、九州系・大阪系・京都系は、同じ基準で分けられた三つの流派ではありません。作曲された地域、演奏家の芸系、三味線組歌の流派、使用する楽器、演奏表現など、いくつかの要素が重なって成立した区分です。
この記事では、地歌の歴史をたどりながら、九州系・大阪系・京都系の関係と、それぞれの特色を解説します。
地歌とは
地歌は、江戸時代に上方で成立した三味線伴奏の歌曲です。舞台や芝居のための音楽ではなく、座敷などの比較的小さな空間で演奏する室内楽として発達しました。
地歌を担ったのは、平家琵琶を伝承していた当道座の盲人音楽家たちです。彼らは三味線だけでなく、箏や胡弓も扱っていたため、地歌と箏曲は次第に深く結びついていきました。現在も地歌の多くは、三味線だけでなく箏や尺八、胡弓を加えて演奏されます。
初期の地歌では、複数の短い歌を組み合わせた「三味線組歌」が重要な位置を占めていました。その後、長歌物、端歌物、芝居歌物、作物、手事物など、さまざまな曲種が生まれています。
なかでも地歌の器楽的な発展を象徴するのが「手事物」です。
手事物は、前歌と後歌の間に、歌を伴わない長い器楽部分である「手事」を置いた楽曲です。手事が複雑化するにつれて、三味線の本手と替手、さらに箏の旋律が組み合わされ、地歌は高度な合奏音楽へと発展しました。
九州系・大阪系・京都系は三つの流派ではない
地歌を理解するうえで注意したいのは、「九州系」「大阪系」「京都系」が、三つの独立した流派を意味するわけではないことです。
三味線組歌の流派として見ると、地歌には大きく柳川流と野川流の二系統があります。
柳川流は京都に伝えられ、古い形の三味線組歌と柳川三味線を継承してきました。一方、柳川流から派生した野川流は大坂を中心に広まり、現在の地歌演奏家の多くにつながる系統となりました。
これに対して、九州系や大阪系、京都系という呼び方は、次のような複数の意味で使われます。
- 演奏家や師弟関係の芸系
- 楽曲が作られた地域
- 地域ごとの演奏様式
- 三味線や撥、駒などの楽器形態
- 箏と三味線の合奏方法
そのため、京都で作られた曲を九州系の芸系に属する演奏家が九州型の三味線で演奏することもあります。
現在一般に使われる地歌三味線にも九州系の改良が大きく反映されており、楽曲の出自と演奏に用いる楽器の系統が必ずしも一致するわけではありません。
地歌の古い流れを伝える柳川流と野川流
柳川流
柳川流は、柳川検校によって整えられた地歌の古い流派です。
柳川検校は、それまでに伝えられていた三味線歌曲を整理し、新たな曲を加えながら三味線組歌の体系を整えました。柳川流は現在、主に京都で伝承されています。
柳川流で使用される柳川三味線は、現在一般的な地歌三味線よりも小振りで棹が細く、撥も薄く小さいのが特徴です。江戸時代初期の三味線に近い姿を残しているとされ、繊細で軽やかな響きを持ちます。
柳川流は「京都系地歌」の重要な一部ですが、江戸時代後期に成立した京流手事物とは異なる、古い三味線組歌の伝承です。
野川流
野川流は、柳川検校の系統を受け継いだ野川検校によって整えられました。
野川検校は三味線組歌を整理し、野川流の組歌として伝承しました。野川流は大坂を中心に広まり、後世の地歌の主要な流れとなっています。
大阪系の手事物や九州系地歌も、広い意味では野川流につながる芸系を基盤としています。
大阪系地歌――手事物を発展させた大坂の音楽
江戸時代後期の大坂では、三味線の器楽性を前面に出した手事物が大きく発展しました。
その中心となったのが、峰崎勾当や三橋勾当などの音楽家です。
大阪系手事物の成立
初期の地歌では、歌の途中に置かれる合の手は比較的短いものでした。大坂の作曲家たちは、この器楽部分を長大化し、独立して鑑賞できるほど充実した「手事」へと発展させました。
前歌・手事・後歌という構成が明確になり、手事には複数の段やチラシが置かれるようになります。また、曲の途中で調弦を変化させるなど、三味線の表現力を生かした構成も発達しました。
大阪系手事物の代表的な作曲家には、次のような人物がいます。
- 峰崎勾当
- 三橋勾当
- 菊崎検校
- 在原勾当
峰崎勾当の代表曲には「残月」「越後獅子」「吾妻獅子」「袖香炉」などがあります。三橋勾当は「松竹梅」「根曳の松」などを作曲したと伝えられています。
大阪系地歌の特色
大阪系手事物では、三味線が音楽の中心となり、歌と器楽が密接に結びついています。
手事には三味線特有の細かな撥使い、スクイ、ハジキ、スリなどが組み込まれ、調弦の変化を利用しながら曲が展開します。旋律には華やかさだけでなく、劇的な起伏や人間味のある情感も感じられます。
「残月」のような追善曲では、静かな悲しみと緊張感が濃密に表現されます。一方、「越後獅子」や「吾妻獅子」では、獅子舞を思わせる活発な手事が展開します。
大坂で完成された手事物の様式は、その後、京都の作曲家たちに受け継がれ、京流手事物へと発展していきました。
京都系地歌――古い柳川流と京流手事物
京都系地歌には、大きく分けて二つの側面があります。
一つは、柳川三味線と三味線組歌を伝える古い柳川流です。もう一つは、江戸時代後期に京都で発達した京流手事物です。
一般に「京風の地歌」と呼ばれることもありますが、江戸時代後期の作曲様式を示す場合は「京流手事物」または「京物」と呼ぶ方が明確です。
京流手事物の成立
大坂で発達した手事物は、京都の松浦検校、石川勾当、菊岡検校らによって、さらに大規模で精緻な音楽へと発展しました。
京流手事物では、三味線の曲に、八重崎検校をはじめとする箏の名手が独立性の高い箏の旋律を付けました。その結果、箏が単に三味線を装飾するだけでなく、三味線と対等に掛け合う合奏形式が完成します。
主要な作曲家と代表曲には、次のようなものがあります。
松浦検校
- 宇治巡り
- 四季の眺
- 深夜の月
- 四つの民
- 末の契
- 玉の台
「宇治巡り」「四季の眺」「深夜の月」「四つの民」は、松浦検校の代表作として「松浦の四つ物」と呼ばれています。
石川勾当
- 新青柳
- 八重衣
- 融
石川勾当の作品は、長大で技巧的な手事と、緊密な箏・三味線合奏を特徴とします。
菊岡検校
- 茶音頭
- 笹の露
- 楫枕
- 磯千鳥
- 夕顔
- 御山獅子
- 舟の夢
- 梅の宿
菊岡検校の多くの作品には八重崎検校が箏の手を付けました。三味線と箏が互いの旋律を受け渡しながら展開する、京流手事物を代表する作品群です。
光崎検校
- 桜川
- 七小町
- 千代の鶯
- 三津山
光崎検校は、三味線を中心とする地歌だけでなく、箏の可能性を拡大した作品も残しました。箏曲「秋風の曲」や「五段砧」などは、幕末における箏曲の新しい方向を示す作品として知られています。
京流手事物の特色
京流手事物では、前歌・手事・後歌という基本形式がさらに拡大され、複数の手事や中歌を持つ大曲も作られました。
手事の内部も、マクラ、段、ツナギ、チラシなどによって細かく構成されます。箏と三味線は同じ旋律をなぞるのではなく、それぞれ異なる動きをしながら一つの音楽を作ります。
歌詞には和歌、古典文学、名所、四季、恋愛などを題材としたものが多く、洗練された詞章と精巧な器楽部分が結びついている点が特徴です。
大阪系手事物で確立された三味線の器楽性が、京都で箏との高度な合奏音楽へと発展したものが、京流手事物といえるでしょう。
九州系地歌――楽器と演奏法を発展させた伝承
九州系地歌は、地歌が九州で最初に生まれたことを意味する名称ではありません。
上方で成立した地歌と生田流箏曲が九州へ伝わり、久留米や熊本などで独自の芸系と演奏様式を形成したものです。
九州系の芸系
九州系生田流の系譜は、生田検校から倉橋検校、安村検校、石塚検校、大塚勾当、田川勾当を経て、久留米の宮原検校へ伝わったとされています。
宮原検校の門下からは多くの演奏家が育ち、その芸系は熊本の長谷幸輝をはじめ、明治・大正期の地歌箏曲界へ受け継がれました。
九州系の芸系はその後東京へも進出し、近代の地歌箏曲に大きな影響を与えています。
三味線の大型化と改良
九州系地歌の大きな特徴は、三味線、撥、駒などの改良です。
京都の柳川三味線は小振りで繊細な楽器でしたが、宮原検校は箏一面に対して三味線一挺でも十分な響きを得られるよう、より大きな三味線と撥を工夫したと伝えられています。
その後、長谷幸輝やその門人たちによって、棹、胴、撥、駒などの改良が続けられました。こうした流れから成立した九州型の地歌三味線が、現在広く使用されている地歌三味線の基礎となっています。
九州系地歌の演奏上の特色
九州系地歌には、次のような傾向が指摘されています。
- 低い調子から演奏を始めることがある
- 箏を加えず、三味線の本手と替手で合奏することがある
- 太く落ち着いた三味線の響きを重視する
- 勘所を移動するときにスリを伴わせる
- 三味線一挺でも存在感のある音を作る
ただし、歌の節回しや音色、スリの使い方には演奏家ごとの違いがあります。すべての九州系演奏に同じ特徴が現れるわけではありません。
九州系で伝承された曲
九州系独自の作品、または九州系によって大切に伝承されてきた曲には、次のようなものがあります。
- 蜑小舟
- 水の玉
- 大内山
- 尾上の松
「蜑小舟」は、宮原検校から伝承された三味線曲に、熊本の笹尾竹之郁が箏の手を付けた作品です。
「水の玉」は、宮原検校が師の田川勾当を追善して作曲したと伝えられています。
「尾上の松」は上方で作られたと考えられていますが、上方の歌本には見られず、九州で伝承されてきました。大正時代に宮城道雄が川瀬里子の演奏を聴き、華麗な箏の手を付けたことで広く知られるようになりました。
このように九州系は、新しい作品を生み出しただけでなく、ほかの地域で途絶えかけた曲を保存し、後世へ伝える役割も果たしました。
九州系・大阪系・京都系の違い
| 区分 | 主な位置づけ | 主な人物 | 音楽・演奏の特色 | 代表的な曲・伝承曲 |
|---|---|---|---|---|
| 大阪系 | 野川流を基盤に発達した手事物 | 峰崎勾当、三橋勾当、菊崎検校 | 三味線を中心とした明確な構成、長い手事、調弦の変化、劇的な展開 | 残月、越後獅子、吾妻獅子、松竹梅、根曳の松 |
| 京都系 | 柳川流の古い伝承と、江戸後期の京流手事物 | 柳川検校、松浦検校、石川勾当、菊岡検校、八重崎検校、光崎検校 | 繊細な柳川三味線、箏と三味線の精緻な掛け合い、優雅な詞章、大規模な手事 | 宇治巡り、八重衣、茶音頭、笹の露、磯千鳥、七小町 |
| 九州系 | 生田流の芸系と地歌の伝承から形成された演奏系統 | 宮原検校、長谷幸輝、川瀬里子 | 三味線・撥・駒の改良、太く渋い音色、低調子、三味線本手・替手の重視 | 蜑小舟、水の玉、大内山、尾上の松 |
この表は、それぞれの大まかな傾向を示したものです。
実際には地域間の交流が盛んに行われ、作品、演奏法、箏の手付、楽器の改良などが相互に影響し合っています。
大阪から京都へ、京都から九州へ
地歌の歴史は、地域ごとに完全に分断されていたわけではありません。
大坂で発達した手事物は、京都の音楽家によって京流手事物へと洗練されました。京都で生まれた楽曲や箏の手は九州へ伝わり、九州の演奏家によって大切に保存されました。
一方、九州で進められた三味線の改良は、大阪や東京の演奏家にも影響を与え、現在一般的に使われる地歌三味線へとつながっています。
つまり、現在の地歌演奏では、
「京都で作られた京流手事物を、野川流につながる芸系の演奏家が、九州型を基礎とする三味線で演奏する」
ということも珍しくありません。
楽曲の地域、演奏家の芸系、使用する楽器は、それぞれ別に考える必要があります。
演奏を聴き比べるポイント
同じ地歌の曲でも、芸系や演奏家によって印象が異なります。聴き比べる際は、次の点に注目すると違いが分かりやすくなります。
三味線の音色
細く繊細な音を重視しているか、太く深い音を重視しているかを聴きます。撥の大きさ、駒、皮の張り方、糸の選び方によっても響きは変わります。
歌の節回し
地歌は三味線を弾きながら歌う音楽です。節の細かな揺れ、言葉の置き方、息の使い方、スリとの結びつきに演奏家の芸風が表れます。
手事の間と速度
手事を整然と進めるのか、間を広く取りながら展開するのかによって、曲の印象が変わります。
箏と三味線のバランス
京流手事物では、箏と三味線の掛け合いが重要です。どちらか一方が伴奏するのではなく、二つの旋律がどのように交差しているかを聴くと、合奏の精巧さが分かります。
本手と替手の関係
三味線二挺で演奏する場合は、主となる本手と、それに対して異なる旋律を奏でる替手の関係に注目します。九州系では、箏を加えず三味線の本手・替手を重視する演奏も行われてきました。
地歌は地域間の交流によって発展した音楽
地歌は上方で生まれ、大坂と京都を中心に発展しました。
大坂では、峰崎勾当や三橋勾当らによって三味線の器楽性を生かした手事物が完成します。京都では、松浦検校、石川勾当、菊岡検校らの三味線曲に、八重崎検校らが高度な箏の手を加え、京流手事物が完成しました。
九州では、宮原検校から長谷幸輝らへと続く芸系が成立し、三味線や撥、駒の改良とともに、独自の音色と演奏表現が育まれました。また、上方で失われた曲を保存し、再び広く伝える役割も果たしています。
九州系・大阪系・京都系は、それぞれが孤立した音楽ではありません。作品、芸系、楽器、演奏法が地域を越えて交わりながら、現在の地歌箏曲を形作ってきました。
地歌を聴く際には、曲名や作曲者だけでなく、どの地域で作られ、どのような芸系によって伝えられ、どのような三味線で演奏されているのかにも注目してみてください。地歌の奥深い歴史と、多様な響きがより身近に感じられるでしょう。