曲目・歌詞解説

今小町|歌詞の意味・菊岡検校・当世の小町を解説

曲目・歌詞解説一覧へ

「今小町」は、小野小町になぞらえられる当世の美しい遊女の風情と、その恋の道行きを描いた、地歌箏曲京流手事物です。

曲名は「いまこまち」と読みます。三絃作曲は菊岡検校箏手付八重崎検校で、江戸後期に成立した曲です。絶世の美女とうたわれた小野小町を引き合いに出しながら、今の世に生きる遊女の美しさと恋の機微を描いています。

深草の少将の百夜通いの伝説や、あしびきの山鳥の尾にちなむ和歌など、小町にゆかりの深い古典的な言葉を随所に織り込みながら、当世の恋物語として仕立て直している点が、この曲の大きな特徴です。

「今小町」の基本情報

項目内容
曲名今小町
読みいまこまち
分類地歌・箏曲、京流手事物
作詞不詳
三絃作曲菊岡検校
箏手付八重崎検校
主な編成歌・三絃(箏・尺八を加えた演奏例もある)
成立江戸後期
主題小野小町になぞらえられた、当世の美しい遊女の風情と恋の道行き

複数の解説サイトによれば、「今小町」は菊岡検校作曲による京流手事物で、小野小町を引き合いに出しながら、当世の遊女を「今の世の小町」として描いた曲とされています。その境遇と心情の両方が歌い込まれている点が特徴です。

「今小町」とは

「今小町」は、平安時代の歌人・小野小町の美しさを引き合いに出しながら、当世(作曲当時の江戸期)に生きる、ひとりの美しい遊女を描いた曲です。

小町にまつわる古典的な逸話――深草の少将が百夜にわたって通い続けたという伝説や、あしびきの山鳥の尾のように長い夜を独り過ごす和歌の心情――を踏まえながら、その面影を、今の世の廓(くるわ)に生きる女性に重ね合わせています。古典への深い教養を土台にしながら、生き生きとした恋物語として描き直している点が、この曲の魅力です。

今小町の歌詞

松の位に柳の姿、桜の花に梅が香を、籠めてこぼるる愛嬌は、月の雫か萩の露、
露の情に憧れて、我も迷ふや蝶々の、恋ひしなん身の幾百夜、通ふ心は深草の、少将よりも浅からぬ、浅香の沼の底までも、
引く手あまたの花あやめ、たとへ昔の唐人の、山を抜くてふ力もて、引くとも引かぬ振り袖の、粋な世界の今小町、
高き位の花なれば、思ふにかひも嵐山、されど岩木にあらぬ身の、意気な男の手管には、いなにはあらぬ稲舟の、沈みもやせん恋の淵、逢はぬ辛さは足曵の、山鳥の尾の長き日を、恨みかこちて人知れず、
今宵逢瀬の新枕、積もる思ひの片糸も、とけて嬉しき春の夢。

※本記事の歌詞は、ユーザー様よりご提供いただいた詞章を底本としています。譜本や流派によって表記が異なる場合があります。

歌詞全体の意味

松の位(最上級の遊女の位)にふさわしい風格をたたえ、柳のようにしなやかな姿。桜の花の美しさに梅の香りまでも兼ね備え、あふれこぼれるその愛嬌は、月の雫でしょうか、それとも萩に置く露でしょうか。

その露のようなはかない情けに憧れて、私も蝶のように迷い惑い、恋い焦がれる身となって幾百夜。その通う心の深さは、深草の少将よりも浅くはなく、浅香の沼の底にまで届くほどです。

引く手数多(あまた)の花あやめのようなあの人。たとえ昔の中国の人が持つという、山をも引き抜くほどの力をもってしても、自らはなびかない振り袖姿こそ、粋な世界に生きる今の小町なのです。

高い位にある花であるからこそ、思う甲斐もなく実らないのは、嵐山の景色のようなもの。けれど岩や木ではない、感情を持つこの身は、粋な男の巧みな手管に、きっぱり否とは言い切れません。その思いは稲舟のように恋の淵へ沈んでいきます。逢えない辛さを、あしびきの山鳥の尾のように長い日々、人知れず恨みかこちながら過ごすのです。

けれど今宵は逢瀬がかない、新たな枕を交わします。積もり積もった思いの片糸も解けて、嬉しい春の夢を見るのです。

曲名「今小町」の意味

「今小町」は、平安時代の歌人・小野小町の美しさを、今の世に生きる女性になぞらえた曲名です。

小町は絶世の美女とうたわれ、深草の少将をはじめ多くの男性から求愛されたと伝えられています。この曲では、そうした小町の面影を、当世の遊女に重ね合わせています。

曲名には、

  • 小野小町に劣らぬ美しさを持つ、当世の女性への讃辞
  • 深草の少将の百夜通いに重ねられた、恋の道の深さ
  • 引く手あまたでありながら、簡単には振り向かない誇り
  • 逢えない辛さの果てに訪れる、逢瀬の喜び

といった意味が重ねられています。

「松の位に柳の姿桜の花に梅が香を籠めてこぼるる愛嬌は月の雫か萩の露」

冒頭では、この女性の美しさが讃えられます。

「松の位」は、遊女の中でも最高位を意味する言葉です。柳のようなしなやかな姿、桜の美しさと梅の香りを兼ね備えた愛嬌が、月の雫や萩の露にたとえられ、華やかな導入となっています。

「露の情に憧れて我も迷ふや蝶々の恋ひしなん身の幾百夜通ふ心は深草の少将よりも浅からぬ浅香の沼の底までも」

続いて、この女性に恋い焦がれる心情が歌われます。

「深草の少将」は、小野小町に求愛し、百夜通いの末に力尽きたと伝えられる人物です。その伝説を引き合いに出しながら、自分の恋心の深さが、少将にも劣らないものだと歌われます。「浅香の沼」との掛詞も、恋の深さを強調する表現です。

「引く手あまたの花あやめたとへ昔の唐人の山を抜くてふ力もて引くとも引かぬ振り袖の粋な世界の今小町」

この一節では、多くの男性から求愛されながらも、なびかない女性の誇りが歌われます。

「山を抜くてふ力」は、中国の伝説的な力自慢を踏まえた誇張表現です。それほどの力をもってしても引き寄せられない、という表現に、この女性の気高さと、当世に生きる「小町」としての矜持が込められています。

「高き位の花なれば思ふにかひも嵐山されど岩木にあらぬ身の意気な男の手管には」

続く一節では、高い位の女性が、粋な男の手管に心を動かされる気配が歌われます。

岩や木ではない人の身は、粋な男の巧みな手管を前に、否とは言い切れません。「意気な男の手管には」から「いなにはあらぬ」へ続く言葉によって、誇り高い女性にも恋心が芽生える様子が描かれます。

「いなにはあらぬ稲舟の沈みもやせん恋の淵逢はぬ辛さは足曵の山鳥の尾の長き日を恨みかこちて人知れず」

この一節には、恋の苦しみに沈んでいく心情が歌われます。

「稲舟」は「否(いな)」との掛詞になっており、拒みきれない思いが恋の淵に沈んでいく様子が描かれます。「あしびきの山鳥の尾」は、百人一首にも収められた柿本人麻呂の和歌を踏まえた表現で、独り寝の夜の長さを象徴する、古典的な言い回しです。

「今宵逢瀬の新枕積もる思ひの片糸もとけて嬉しき春の夢」

結びでは、ついに逢瀬がかなう喜びが歌われます。

積もり積もった思いが解けていくように、新たな枕を交わし、嬉しい春の夢を見るという、幸福な結びで曲は締めくくられます。

演奏するときのポイント

小町の面影と当世の女性、二重のイメージを重ねる

この曲は、古典の小野小町と、当世に生きる女性という、二つのイメージが重ね合わされています。古典への敬意を払いながら、生き生きとした当世の恋物語として演奏することが大切です。

誇り高さと切なさ、両方の表情を描き分ける

「引くとも引かぬ振り袖」に象徴される誇り高さと、「恋の淵」に沈んでいく切なさは、対照的な二つの心情です。この対比を意識すると、曲の情感がより深く伝わります。

結びの喜びを晴れやかに

結びの「とけて嬉しき春の夢」は、それまでの恋の苦しみが報われる、幸福な瞬間です。それまでの切なさとの対比を意識しながら、晴れやかに締めくくります。

「今小町」の聴きどころ

  • 月の雫や萩の露にたとえられる、冒頭の華やかな美しさ
  • 深草の少将の百夜通いに重ねられた、恋の道の深さ
  • 「山を抜くてふ力」にも動じない、当世の小町の誇り
  • 「稲舟」の掛詞に込められた、拒みきれない恋の苦しみ
  • 「あしびきの山鳥の尾」を踏まえた、独り寝の夜の長さ
  • 積もる思いが解けていく、結びの幸福な逢瀬
  • 小野小町の古典的な逸話を、当世の恋物語として仕立て直す趣向

まとめ

「今小町」は、菊岡検校作曲、八重崎検校箏手付による地歌・箏曲の京流手事物です。

小野小町の美しさと、深草の少将の百夜通いをはじめとする古典的な逸話を踏まえながら、当世に生きる美しい遊女の風情と恋の道行きを描いています。誇り高さと恋の苦しみ、そして最後に訪れる逢瀬の喜びという、豊かな感情の起伏が、この曲の大きな魅力です。

演奏を聴く際は、小町の面影と当世の女性という二重のイメージの重なりや、誇り高さと切なさの対比、そして結びに訪れる幸福な逢瀬の喜びにも耳を傾けると、曲の魅力がより深く味わえます。