曲目・歌詞解説

春の曲|歌詞の意味・吉沢検校・古今組の春景色を解説

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「春の曲」は、二世吉沢検校が『古今和歌集』の春の歌をもとに作曲した箏曲です。

吉沢検校による「古今組」の一曲で、「千鳥の曲」「春の曲」「夏の曲」「秋の曲」「冬の曲」とともに、古今和歌集の和歌を箏歌曲として再構成した作品群に含まれます。もとは箏一面の歌曲でしたが、のちに松阪春栄が手事替手を加え、現在では本手・替手による華やかな合奏曲として演奏されることが多くなっています。日本伝統文化振興財団の録音資料でも、「古今和歌集」春の部より六首、作曲は吉沢検校、手事・替手は松阪春栄と整理されています。

「春の曲」の基本情報

項目内容
曲名春の曲
読みはるのきょく
分類箏曲・古今組
作詞『古今和歌集』春歌より六首
作曲二世吉沢検校
手事・替手松阪春栄
成立幕末ごろ、後に明治期に手事・替手を補作
調弦古今調子を基本とする伝承
構成前弾・歌四首・手事・歌二首
主な編成歌・箏本手・箏替手、尺八を加える演奏など
主題鶯、若菜、桜、散る花、藤、暮れゆく春

「春の曲」は、春の到来から晩春までを六首の和歌でたどる曲です。鶯の初音、都の若菜摘み、桜への心の乱れ、花見、藤の花、春を惜しむ鶯へと、春の時間が少しずつ進んでいきます。

「春の曲」とは

「春の曲」は、恋や遊里の情緒を歌う地歌とは性格が異なり、和歌の世界を箏の音楽として味わう作品です。

吉沢検校は、名古屋系の箏曲家として知られ、従来の箏組歌を復興・発展させる意識を持っていた作曲家です。古今和歌集の和歌を用いた「古今組」は、その代表的な試みといえます。コロムビアの箏曲解説でも、名古屋の吉沢検校が安政ごろに純箏曲として作曲した五曲の一つとして「春の曲」が挙げられています。

曲は、雅楽風ともいわれる前弾きから始まり、和歌を朗唱的に歌い進めます。後に松阪春栄が長い手事と替手を加えたことで、現在演奏される「春の曲」は、歌の典雅さと箏合奏の華やかさをあわせ持つ曲になりました。

春の曲の歌詞

鶯の
谷より出づる声なくば
春来ることを誰か知らまし

深山には
松の雪だに消えなくに
都は野辺の若菜摘みけり

世の中に
絶えて桜のなかりせば
春の心はのどけからまし

駒並めて
いざ見にゆかむ故郷は
雪とのみこそ花は散るらめ

わが宿に
咲ける藤波立ち返り
過ぎがてにのみ人の見るらん

声絶えず
鳴けや鶯ひととせに
再びとだに来べき春かは

※歌詞には譜本や流派によって、「出づる/いづる」「深山/み山」「若菜摘みけり/若菜つみけり」「駒並めて/駒なべて」「故郷/古里」「花は散るらめ/花の散るらめ」「過ぎがてに/過ぎ難てに」などの表記差があります。本記事では、使用譜の表記に合わせて整えます。

この六首は『古今和歌集』の春の歌をもとにしています。春の訪れを告げる鶯から始まり、若菜、桜、散る花、藤、春を惜しむ鶯へと、早春から晩春へ移るように並べられている点が特徴です。

歌詞全体の意味

谷から出てくる鶯の声がなければ、春が来たことを誰が知ることができるでしょうか。

深い山では、松の枝に積もった雪さえまだ消えていません。それなのに、都の野辺ではもう若菜を摘んでいます。

この世にもし桜という花がまったくなかったなら、春を過ごす人の心はもっと穏やかだったでしょう。咲くのを待ち、散るのを惜しむからこそ、春の心は落ち着かないのです。

馬を並べて、さあ故郷の花を見に行きましょう。そこでは、雪のように桜の花が散っていることでしょう。

わが家に咲く藤の花は、波のように美しく、訪れた人は立ち去りがたく、何度も振り返って眺めています。

鶯よ、声を絶やさず鳴いておくれ。一年のうち、春は二度とは戻ってこないのだから。

曲が描く春の流れ

「春の曲」は、単に春の和歌を六首並べた曲ではありません。

六首の順番には、春の時間の推移があります。

最初は、まだ姿の見えない春を鶯の声で知る早春です。次に、山には雪が残る一方、都では若菜を摘むという、山と都の季節差が描かれます。

三首目と四首目では桜が中心となります。桜は美しい花ですが、人の心を落ち着かなくさせる花でもあります。咲く前は待ち遠しく、咲けば散ることが気になり、散れば惜しまれます。

五首目では藤の花が咲き、春はさらに深まります。最後は、去っていく春を惜しむように、鶯へ「声を絶やさず鳴いてほしい」と呼びかけます。

この曲は、春の始まりから終わりまでを、和歌によって静かにたどる作品です。

「鶯の谷より出づる声なくば」

第一首は、春の到来を鶯の声によって知る歌です。

鶯は、古典和歌における春の代表的な鳥です。花が咲くよりも先に、その声によって春の気配を知らせます。

ここでは、春は目に見えるものではなく、まず音として現れます。

「谷より出づる」という表現から、冬の間、山や谷の奥にいた鶯が、春になって姿を現し、声を響かせる様子が感じられます。

演奏では、冒頭から華やかに咲き誇る春ではなく、遠くから聞こえる鶯の声によって、少しずつ春が開いていく感覚を大切にします。

「深山には松の雪だに消えなくに」

第二首では、深山と都の対照が描かれます。

深い山では、松に積もった雪すらまだ消えていません。

しかし、都の野辺では、すでに若菜を摘んでいます。

同じ春であっても、場所によって季節の進み方は違います。山には冬が残り、都には春が来ている。その違いによって、春の訪れがより鮮やかに感じられます。

若菜摘みは、正月から春先にかけての行事や、春の野遊びを思わせる題材です。雪の残る深山に対して、都の野辺には人の生活と春の喜びがあります。

「世の中に絶えて桜のなかりせば」

第三首は、在原業平の歌として知られる有名な和歌です。

意味は、もしこの世に桜という花がまったくなかったなら、春の人の心はどれほどのどかであっただろう、というものです。

桜は美しいからこそ、人の心を乱します。

咲くのを待ち、咲けば見に行きたくなり、風が吹けば散るのではないかと心配になります。

この歌は、桜の美しさを直接ほめるのではなく、桜がなければ心は穏やかだっただろうと逆に言うことで、桜がどれほど人の心を引きつけるかを表しています。

「春の曲」の中でも、春の情緒が大きく深まる重要な一首です。

「駒並めて」

第四首は、馬を並べて花を見に行こうと誘う歌です。

「故郷」は、かつて都であった場所、または花の名所を思わせます。

そこでは、桜の花が雪のように散っていることでしょう。

ここでは、雪と桜が重ねられます。第二首では、山に残る本物の雪が歌われました。第四首では、散る桜が雪のように見えると歌われます。

冬の雪から、春の花の雪へ。

この対比によって、曲全体の中で季節が進んでいることが分かります。

手事へ向かう流れ

第四首の後に、松阪春栄による手事が入ります。

もとの「春の曲」は、和歌を中心とする箏歌曲でした。そこへ松阪春栄が長く華やかな手事と替手を加えたことで、現在演奏される形に近づきました。日本伝統文化振興財団の録音資料でも、吉沢検校作曲、手事・替手は松阪春栄として整理されています。

手事は、前の四首で描かれた早春から桜の盛りまでの情景を受け、後半の藤と惜春へ向かうための器楽部分です。

箏の本手と替手が重なり、春の光、花の散る動き、藤波の揺れを思わせるような華やかな展開を作ります。

「わが宿に咲ける藤波」

第五首では、桜から藤へと春の景色が移ります。

「藤波」は、藤の花房が風に揺れる様子を、波に見立てた言葉です。

わが家に咲いている藤の花があまりに美しいため、訪れた人は立ち去りがたく、何度も振り返って眺めてしまう。

桜が散るころ、藤の季節が訪れます。

この歌によって、曲は春の終わりに近づきます。桜の華やかさとは異なり、藤には長く垂れる花房の優美さがあります。

「声絶えず鳴けや鶯」

最後の歌では、再び鶯が登場します。

第一首では、鶯は春の到来を知らせる鳥でした。

最後の歌では、去りゆく春を惜しむ存在として歌われます。

声絶えず
鳴けや鶯ひととせに
再びとだに来べき春かは

一年のうち、春は二度と来るわけではありません。だからこそ、鶯よ、声を絶やさず鳴いておくれと呼びかけています。

始まりの鶯と終わりの鶯が呼応することで、曲全体が一つの円環を作ります。

ただし最後の鶯は、春を告げる喜びだけでなく、春を送る寂しさを含んでいます。

古今組とは

古今組は、吉沢検校が『古今和歌集』などの和歌をもとに作曲した箏曲の作品群です。

代表的には、次の五曲が挙げられます。

  • 千鳥の曲
  • 春の曲
  • 夏の曲
  • 秋の曲
  • 冬の曲

コロムビアの箏曲解説では、名古屋の吉沢検校が安政ごろに純箏曲として作曲した五曲として、この五曲が紹介されています。

「春の曲」は、その中でも春歌を六首選び、季節の移ろいを箏の歌曲として表した作品です。

古今調子

「春の曲」は、古今調子を用いる曲として知られています。

古今調子は、吉沢検校が古今組のために用いた特徴的な箏の調弦です。

平調子雲井調子とは異なる響きを持ち、和歌を朗唱するような歌に、雅やかで落ち着いた雰囲気を与えます。

本手と替手

現在演奏される「春の曲」では、本手と替手による二面箏の合奏が重要です。

本手は曲の中心となる手で、吉沢検校の原曲を基礎とする部分です。

替手は、松阪春栄が補ったもう一つの箏の手で、本手に対して別の旋律や動きを加えます。

替手は単なる伴奏ではありません。本手と絡み合い、和歌の静かな世界に、春の光や花の動きを感じさせる器楽的な広がりを与えます。

日本伝統文化振興財団の録音資料にも、本手・替手を分けた演奏記録が複数見られます。

尺八を加えた演奏

「春の曲」は、箏本手・箏替手に尺八を加えて演奏されることもあります。

尺八は、歌と箏の間に息の線を加えます。

鶯の声、春の空気、桜の散る余韻、藤の花の揺れなどを直接描写するというより、和歌の世界に呼吸と空間を加える役割を持ちます。

尺八が強く前に出すぎると、和歌の典雅さや箏二面の繊細な重なりが隠れてしまいます。音を出すところだけでなく、休む間、余韻の残し方も大切です。

「春の曲」の曲構成

「春の曲」は、一般に次のように捉えると分かりやすいです。

  1. 前弾
  2. 第一歌「鶯の」
  3. 第二歌「深山には」
  4. 第三歌「世の中に」
  5. 第四歌「駒並めて」
  6. 手事
  7. 第五歌「わが宿に」
  8. 第六歌「声絶えず」

前弾

前弾では、古今組らしい雅やかな響きが作られます。

春の情景をすぐに描き出すというより、和歌を歌い始めるための場を整える部分です。

前半四首

前半では、鶯、若菜、桜、散る花が歌われます。

春の始まりから桜の盛りまでが、和歌によって順に示されます。

手事

手事は、松阪春栄によって加えられた器楽部分です。

本手と替手が絡み合い、歌では語られない春の華やかさを広げます。

後半二首

後半では、藤の花と春を惜しむ鶯が歌われます。

春は盛りを過ぎ、晩春から惜春へ向かいます。

演奏するときのポイント

和歌を中心に据える

「春の曲」は、技巧を見せるだけの曲ではありません。

中心にあるのは六首の和歌です。

言葉の意味、歌の作者、季節の順序を理解したうえで演奏すると、曲全体の流れが自然になります。

春の時間を進める

六首は、早春から晩春へ向かうように並んでいます。

各歌を同じ表情で歌うのではなく、春が少しずつ進むことを意識します。

鶯の初音、若菜、桜、散る花、藤、春を惜しむ鶯という流れを作ります。

桜の歌を重くしすぎない

第三首の「世の中に絶えて桜のなかりせば」は、桜に心を乱される歌です。

ただし悲しみだけではありません。

桜があるからこそ春は美しく、同時に落ち着かない。その両面を表すことが大切です。

手事を華やかに、しかし上品に

松阪春栄の手事は大きな聴きどころです。

しかし、和歌の曲であることを忘れて技巧だけを前面に出すと、曲の品格が崩れます。

春の花が広がるような華やかさと、古今集の和歌にふさわしい品位を両立させます。

最後は春を惜しむ

最後の鶯は、春を告げる鳥ではなく、過ぎていく春を惜しませる鳥です。

明るく終えるだけでなく、二度とは戻らない春への名残を残します。

「春の曲」の聴きどころ

  • 鶯の声によって春が始まる第一歌
  • 雪の残る深山と若菜を摘む都の対照
  • 在原業平の桜の歌に込められた心の乱れ
  • 雪のように散る桜の情景
  • 松阪春栄による手事の華やかさ
  • 本手と替手の絡み合い
  • 藤波の優美な揺れ
  • 最後の鶯に込められた惜春の情
  • 古今和歌集の和歌を箏歌曲として味わう典雅さ

関連人物

  • 二世吉沢検校
  • 松阪春栄
  • 在原業平
  • 大江千里

在原業平は第三首「世の中に絶えて桜のなかりせば」の作者として重要です。大江千里は第一首の作者として紹介されることがあります。和歌の作者名は譜本や解説資料に合わせて確認してください。

関連する曲

  • 千鳥の曲
  • 夏の曲
  • 秋の曲
  • 冬の曲
  • 嵯峨の秋
  • 秋の言の葉
  • 楓の花
  • 六段の調

「春の曲」は、「夏の曲」「秋の曲」「冬の曲」と並べて聴くと、吉沢検校の古今組の構想が分かりやすくなります。「千鳥の曲」も同じ吉沢検校の代表的な古今組系作品として関連付けます。

まとめ

「春の曲」は、二世吉沢検校が『古今和歌集』の春歌六首をもとに作曲した箏曲です。

吉沢検校の古今組に含まれ、春の訪れから晩春までを、鶯、若菜、桜、散る花、藤、惜春の鶯によって描きます。

もとは箏一面の歌曲でしたが、のちに松阪春栄が手事と替手を補作し、現在では本手・替手による華やかな合奏として演奏されることが多くなっています。

恋や遊里を描く地歌とは異なり、「春の曲」は和歌の典雅な世界を箏曲として味わう作品です。演奏を聴く際は、一首ごとの意味だけでなく、早春から晩春へ移る春の時間、本手と替手の重なり、最後に残る惜春の余韻にも耳を傾けてみてください。