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吉沢検校(二世)

読み:よしざわけんぎょう にせい

吉沢検校(二世)は、江戸時代後期から明治初期にかけて活躍した、生田流の箏曲・地歌の演奏家、作曲家です。名古屋に生まれ、都名を審一といい、箏曲や地歌のほか、平曲・雅楽・和歌・国学なども学びました。

当時の箏曲は地歌三味線の影響を強く受けていましたが、吉沢検校は箏を中心とする音楽を再び作ろうとしました。雅楽の旋律や調子を研究し、そこから着想を得た「古今調子」などの新しい調弦を考案しています。

代表作は「千鳥の曲」です。『古今和歌集』と『金葉和歌集』から千鳥を詠んだ和歌を選び、雅楽を思わせる旋律やリズムを取り入れています。手事では、波の動きや千鳥が飛び交う様子が箏の音によって表現されています。

また、「春の曲」「夏の曲」「秋の曲」「冬の曲」と「千鳥の曲」を合わせた作品群は「古今組」と呼ばれます。古典和歌を歌詞とし、箏本来の優雅な響きを追求した作品として、幕末期の箏曲に新しい方向を示しました。

人物にまつわる逸話

革新的すぎて受け入れられなかった音楽

吉沢検校は、雅楽や古典和歌を取り入れ、箏を中心とする新しい作品を生み出しました。しかし、その作風は当時の箏曲・地歌界にとって非常に斬新で、保守的な演奏家たちから敬遠されたといわれています。

現在では「千鳥の曲」が箏曲を代表する名曲として広く演奏されていますが、吉沢検校の存命中には、その革新的な試みが十分に理解されず、不遇のうちに亡くなったと伝えられています。後世になって作品の価値が広く認められたという点は、吉沢検校の人物像を象徴するエピソードです。