柳川検校
読み:やながわけんぎょう
柳川検校(やながわけんぎょう)は、江戸時代前期に活躍した地歌三味線の演奏家・作曲家で、柳川流の祖です。生年は明らかになっておらず、1680年に亡くなりました。
大坂で加賀都と名のり、のちに京都へ移って活動し、1639年に検校へ登官したとされています。
主な功績・代表曲
柳川検校は、初期の三味線音楽である三味線組歌を整理し、柳川流を築いた人物です。
従来の「本手組」に変化や技巧を加えた「破手組」を創始したと伝えられ、三味線組歌の表現を発展させました。
柳川検校に関係する曲として、次のような作品が挙げられます。
- 待つにござれ
- 葛の葉
- 早舟
- 賤
- 錦木
- 揺上
柳川流の三味線組歌は、京都を中心に伝承されました。柳川検校の活動によって、三味線は歌の単純な伴奏にとどまらず、独自の形式と演奏技法を持つ芸術音楽として発展しました。
人物にまつわる逸話
八橋検校と並び称された三味線の名人
柳川検校は、若い頃の八橋検校とともに、大坂で三味線の名手として高い評価を受けたと伝えられています。
当時の記録には、柳川検校と八橋検校が二人の名人として並び称され、その演奏技術を高く評価されていたことが記されています。
八橋検校は後世、近世箏曲の基礎を築いた人物として広く知られるようになりましたが、もともとは柳川検校と並ぶ三味線の名手でした。
その後、柳川検校は柳川流を築き、八橋検校は箏曲の新しい道を開きます。同じ時代に三味線の腕を競った二人が、のちに地歌と箏曲の歴史へそれぞれ大きな足跡を残したことは、興味深いエピソードです。