山田検校
読み:やまだけんぎょう
山田検校は、江戸時代後期に活躍した箏曲家で、山田流箏曲を大成した人物です。1757年に生まれ、1817年に没しました。江戸の浄瑠璃や語り物の音楽表現を取り入れ、歌と物語性を重視した箏曲を発展させました。
山田流では、箏を伴奏に従属させるのではなく、歌と箏が一体となって作品を構成します。山田検校は「江の島の曲」「熊野」「長恨歌曲」など多くの作品を残したとされます。
山田流は丸爪を用い、箏の正面に近い位置で演奏することが特徴です。また、独自の細棹三味線との合奏も行われます。
山田検校の門流から複数の系統が生まれ、現代の山田流へ受け継がれています。
人物にまつわる逸話
江戸時代後期の大名・松浦静山が著した随筆『甲子夜話』には、山田検校の作曲にまつわる逸話が記されています。
松浦静山は、和歌は古くは声に出して歌われていたのに、当時はただ詠むだけになってしまったことを残念に思い、山田検校に相談しました。すると山田検校は、その求めに応じて、和歌を歌うための旋律と箏の曲を作ったといいます。
この逸話からは、山田検校が依頼された歌詞の意味や言葉の抑揚を生かし、声楽を重視した箏曲を作っていたことがうかがえます。