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八重崎検校

読み:やえざきけんぎょう

八重崎検校は、江戸時代後期に京都で活躍した生田流の箏演奏家・作曲家です。生年には諸説がありますが、1848年に亡くなりました。浦崎検校に学び、1815年に検校へ登官したとされています。

八重崎検校の大きな功績は、地歌三味線のために作られた楽曲へ、新たに箏の旋律を付けたことです。この作業を「箏手付」といい、単に三味線と同じ旋律を弾くのではなく、それぞれの旋律が掛け合いながら調和するように作られています。

松浦検校、菊岡検校、石川勾当らが作曲した多くの地歌曲に箏の手を付け、三味線と箏の合奏を中心とする京風手事物の様式を発展させました。代表的な箏手付作品には「夕顔」「茶音頭」「磯千鳥」「笹の露」「四季の眺」「八重衣」などがあります。

人物にまつわる逸話

菊岡検校との競演

八重崎検校は、地歌三味線の名手であった菊岡検校と、名コンビであると同時に良きライバルだったと伝えられています。

逸話によると、二人は合奏の席で、互いに技巧を尽くした演奏を披露して腕を競い合いました。八重崎検校が華やかな箏の演奏で菊岡検校を圧倒すると、次の機会には菊岡検校が即興的な三味線で応じたといいます。こうした競演を重ねるうちに二人は互いの技量を認め、優れた楽友になったと伝えられています。

菊岡検校が作曲した「夕顔」「茶音頭」「磯千鳥」「笹の露」などに、八重崎検校が箏の手を付けたことからも、二人の音楽的な結びつきの深さが分かります。現在演奏されている多くの地歌・箏曲は、この二人の協働によって形作られたものです。なお、競演の具体的な経緯には伝承的な部分があるため、史実として断定せず、逸話として紹介されています。