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生田検校

読み:いくたけんぎょう

生田検校は、江戸時代前期から中期に活動した箏曲家で、生田流の祖とされています。八橋検校の孫弟子にあたり、上方で地歌三味線と箏を結び付ける合奏を発展させた人物として伝えられています。

地歌の曲へ箏の手を付け、三味線と箏が異なる旋律を重ねる演奏を広めたことが、生田流箏曲の形成につながったと説明されます。ただし、現在伝わる多様な手付けや演奏様式が一人によって完成したわけではなく、後代の検校や各系統の演奏家によって発展しました。

生田流では一般に角爪を用い、箏へ斜めに座ります。地歌との結びつきが強く、手事物や三曲合奏において重要な流派となっています。

人物にまつわる逸話

生田検校は、八橋検校の弟子である北島検校に箏を学びました。

伝承によると、北島検校は新たな箏曲の流派を起こすことを志していましたが、完成を見ないまま亡くなったため、弟子の生田検校がその意思を受け継ぎ、生田流を創始したといわれています。

生田検校は地歌三味線と箏を組み合わせ、合奏に適した調弦や奏法を工夫しました。しかし、その生涯には不明な点が多く、「思川」や「五段」などの作品についても、北島検校の作曲とする説があります。