秋の曲|歌詞の意味・吉沢検校・古今組の秋景色を解説

「秋の曲」は、二世吉沢検校が『古今和歌集』の秋歌六首をもとに作曲した箏曲です。
「春の曲」「夏の曲」「冬の曲」「千鳥の曲」とともに、吉沢検校の古今組に含まれる作品で、古今和歌集の和歌を箏歌曲として再構成しています。安政年間に成立した曲とされ、古今調子という独特の調弦を用いる点も特徴です。
もとは箏一面による歌曲でしたが、のちに松阪春栄が手事と替手を加え、現在では本手・替手による合奏曲として演奏されることが多くなっています。
「秋の曲」の基本情報
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 曲名 | 秋の曲 |
| 読み | あきのきょく |
| 分類 | 箏曲・古今組 |
| 作詞 | 『古今和歌集』秋歌より六首 |
| 作曲 | 二世吉沢検校 |
| 手事・替手 | 松阪春栄 |
| 成立 | 安政年間、または安政初期以前とされる |
| 調弦 | 古今調子 |
| 構成 | 前弾・歌四首・手事・歌二首 |
| 主な編成 | 歌・箏本手・箏替手、尺八を加える演奏など |
| 主題 | 稲葉、七夕、月、鹿、紅葉、白菊、初秋から晩秋への移ろい |
「秋の曲」は、『古今和歌集』秋の部から六首を採り、初秋から中秋、晩秋へと配列した曲と説明されています。
「秋の曲」とは
「秋の曲」は、恋物語や遊里の情緒を描く地歌とは異なり、和歌の言葉を箏の音楽として味わう作品です。
六首の和歌は、田の稲葉に吹く秋風から始まり、七夕の天の川、秋の月、山里の鹿、惜しまれる紅葉、白菊と波へ進みます。
春や夏の曲と同じく、単に季節の風物を並べているのではありません。秋の始まりから、月夜のもの思い、山里の寂しさ、散る前から惜しまれる紅葉、そして秋風の吹く浜辺の白菊へと、季節が深まる流れが作られています。
秋の曲の歌詞
きのふこそ
早苗取りしかいつの間に
稲葉そよぎて秋風の吹く久方の
天の川原の渡守
君渡りなば楫隠してよ月見れば
ちぢにものこそ悲しけれ
わが身一つの秋にはあらねど山里は
秋こそことにわびしけれ
鹿の鳴く音に目を覚ましつつ散らねども
かねてぞ惜しきもみぢ葉は
今は限りの色と見つれば秋風の
吹き上げに立てる白菊は
花かあらぬか波の寄するか
※歌詞には譜本や流派によって、「そよぎて/そよびて」「天の川原/天の河原」「楫/舵」「ちぢに/千々に」「もみぢ葉/紅葉葉」「吹き上げ/吹上」「波/浪」などの表記差があります。本記事では使用譜の表記に合わせて整えます。
この六首のうち、第三首は大江千里、第四首は壬生忠岑、第六首は菅原道真の歌とされ、第一首・第二首・第五首は読人知らずとして紹介されます。
歌詞全体の意味
つい昨日、田植えのために早苗を取っていたように思えるのに、いつの間にか稲の葉がそよぎ、秋風が吹いています。
天の川の渡し守よ。あの人が川を渡ったなら、もう戻れないように楫を隠しておくれ。
月を見ると、数えきれないほど多くのもの思いが湧いてきます。秋は私一人だけに訪れたわけではないのに、なぜか自分だけが悲しいように感じられます。
山里では、秋こそ特にわびしく感じられます。夜、鹿の鳴く声に目を覚ましながら、秋の寂しさを深く思います。
紅葉はまだ散っていないけれど、今が限りの美しい色だと思うと、散る前から惜しまれてなりません。
秋風の吹く吹上の浜に立つ白菊は、本当に花なのでしょうか。それとも、打ち寄せる白波なのでしょうか。
曲が描く秋の流れ
「秋の曲」は、秋の一場面だけを描く曲ではありません。
第一首では、田植えから稲葉のそよぎへと季節が進み、初秋の気配が示されます。
第二首では、七夕の天の川が詠まれます。秋の夜空を背景に、織女と牽牛の出会いと別れが重ねられます。
第三首では、秋の月を見て湧き上がるもの悲しさが歌われます。
第四首では、山里の夜に鹿の声で目を覚ます寂しさが描かれます。
第五首では、散る前から惜しまれる紅葉が歌われます。
第六首では、秋風の吹く浜辺に立つ白菊と白波が重なり、晩秋の澄んだ景色へ至ります。
このように「秋の曲」は、稲葉、七夕、月、鹿、紅葉、白菊を通して、初秋から晩秋までの情趣をたどる作品です。
「きのふこそ早苗取りしか」
第一首は、季節の移り変わりの早さを詠んだ歌です。
「早苗取り」は、苗代で育てた稲の苗を取り、田に植えるための作業です。
つい昨日、早苗を取っていたように思えるのに、もう稲の葉が秋風にそよいでいる。
ここでは、春から夏を経て秋へ移った時間の早さが表されています。
秋は突然訪れたように感じられますが、実際には稲は少しずつ育ち、季節も少しずつ進んでいました。その変化にふと気づいた瞬間の驚きが、この歌の中心です。
「稲葉そよぎて秋風の吹く」
「稲葉」は、稲の葉です。
秋風が吹くと、田の稲葉が一面にそよぎます。
この音と動きによって、秋の訪れが視覚的にも聴覚的にも感じられます。
春の曲では鶯、夏の曲ではほととぎすが季節を知らせましたが、秋の曲ではまず稲葉を揺らす風が、秋の到来を知らせます。
「久方の天の川原の渡守」
第二首は、七夕の歌です。
「久方の」は、天、空、月、光などに掛かる枕詞です。
「天の川原」は、天の川の河原を表します。七夕伝説では、織女と牽牛が一年に一度、天の川を渡って会うとされます。
「渡守」は、川を渡す船頭です。
歌では、恋しい相手が天の川を渡ったなら、帰れないように楫を隠してほしいと願っています。
「楫隠してよ」
「楫」は、舟を操るための道具です。
楫を隠せば、舟を動かすことができず、相手は向こう岸へ戻れません。
七夕の一夜だけの逢瀬を、少しでも長く続けたいという願いが込められています。
この歌は、秋の夜空の美しさだけでなく、会えた喜びと、すぐに別れなければならない切なさを含んでいます。
「秋の曲」の中では、稲葉の風景から、一転して天上の恋へ視点が広がります。
「月見ればちぢにものこそ悲しけれ」
第三首は、大江千里の歌として知られます。
月を見ると、さまざまな思いが千々に乱れ、悲しみが湧いてくる。
「ちぢに」は、数多く、さまざまに、細かく乱れるようにという意味です。
秋の月は美しいものですが、その美しさは人の心を静かに悲しませます。
明るく澄んだ月を見ていると、自分の過去、恋、別れ、孤独など、さまざまな思いが浮かんできます。
「わが身一つの秋にはあらねど」
秋は、私一人だけに訪れたものではありません。
誰にとっても同じ秋です。
それでも月を見ていると、自分だけが悲しみを背負っているように感じられる。
この歌の深さは、秋の悲しみが普遍的なものであると知りながら、それでも自分の心には特別に重く感じられるところにあります。
「秋の曲」の中でも、もっとも内面的な感情が表れる一首です。
「山里は秋こそことにわびしけれ」
第四首は、壬生忠岑の歌として知られます。
山里は、もともと都から離れた静かな場所です。
その山里では、秋こそ特にわびしく感じられる。
「わびし」は、寂しい、心細い、もの悲しいという意味です。
秋の山里には、紅葉の美しさだけでなく、人の気配が少なく、夜が長く、音が遠く響く寂しさがあります。
「鹿の鳴く音に目を覚ましつつ」
秋の夜、鹿の鳴く声によって目を覚ます。
古典和歌では、鹿の声は秋の寂しさを代表する音です。
鹿は妻を求めて鳴くとも解釈され、その声は恋しさや孤独と結び付けられます。
眠っていても、鹿の声に目を覚ましてしまう。そこには、山里の静けさと、秋の寂しさの深さがあります。
「秋の曲」では、この第四首の後に手事が入る形で演奏されることが多く、歌で示された山里の寂しさが器楽部分へ引き継がれます。
手事へ向かう流れ
「秋の曲」では、第四首の後に松阪春栄が補作した手事が入る形が広く演奏されています。世界大百科事典では、第4歌の後に二段の手事が入り、通常は段合わせを行い、前後にマクラとチラシが付くと説明されています。
第一首から第四首までは、秋の訪れ、七夕、月、山里の鹿と、しだいに秋の情緒が深まっていきます。
その後に置かれる手事は、歌では語られない秋の余韻を、箏の本手と替手によって広げる部分です。
鹿の声で目を覚ました後の静けさ、山里の夜、秋風、月の光、紅葉へ向かう時間が、器楽的に展開されます。
「散らねどもかねてぞ惜しきもみぢ葉は」
第五首では、秋の景物が紅葉へ移ります。
紅葉はまだ散っていません。
しかし、今の色があまりに美しく、それが長く続かないことを知っているため、散る前から惜しまれます。
花や紅葉は、散ってから惜しむものと思われがちです。
しかしこの歌では、散る前からすでに惜しんでいます。
美しさが最高潮にある今こそ、それが失われることを予感してしまうのです。
「今は限りの色と見つれば」
「今は限り」とは、今が最後、今が盛りの極みという意味です。
紅葉の色が美しいほど、それが永遠ではないことが強く感じられます。
この歌には、秋らしい無常感があります。
春の桜にも、咲けば散るという不安がありました。秋の紅葉にも、色づけば散るという予感があります。
「秋の曲」では、紅葉の美しさをただ称えるのではなく、失われる前から惜しむ心を歌っています。
「秋風の吹き上げに立てる白菊は」
第六首は、菅原道真の歌として知られます。
「吹き上げ」は、風が強く吹き上げる場所、または吹上の浜を指すとされます。
秋風の吹く場所に、白菊が立っています。
秋の花としての菊は、清らかさ、高貴さ、長寿などの象徴でもあります。
ここでは白い菊が、浜辺の白波と見分けがたいものとして描かれています。
「花かあらぬか波の寄するか」
白菊は本当に花なのでしょうか。
それとも、打ち寄せてくる白波なのでしょうか。
この歌では、白い花と白い波が重ねられています。
桜川では桜の花びらと白波が重なりましたが、「秋の曲」では白菊と白波が重なります。
秋風、白菊、波という景色によって、曲は澄んだ晩秋の余韻へ向かいます。
古今組としての「秋の曲」
古今組は、二世吉沢検校が『古今和歌集』などの和歌をもとに作曲した箏曲の作品群です。
代表的には、次の曲が挙げられます。
- 千鳥の曲
- 春の曲
- 夏の曲
- 秋の曲
- 冬の曲
「秋の曲」は、その中で『古今和歌集』秋の歌六首を用いた作品です。コトバンクでは「秋の曲」を吉沢検校作曲、古今集の秋歌六首を歌詞とし、古今調子を用いる箏曲として説明しています。
古今調子
「秋の曲」は、古今調子を用いる曲として知られています。
古今調子は、吉沢検校が古今組のために工夫した調弦です。
平調子や雲井調子とは異なる響きを持ち、和歌の朗唱的な歌に、雅やかで落ち着いた音色を与えます。
ただし、具体的な柱の位置や音高は、流派・譜本・演奏形態によって確認が必要です。記事内で具体音を示す場合は、使用譜の調弦表に合わせます。
松阪春栄による手事と替手
現在よく演奏される「秋の曲」には、松阪春栄による手事と替手が加えられています。
もとの吉沢検校の曲は、和歌を中心とする箏一面の歌曲でした。そこへ明治期に松阪春栄が手事と替手を加え、合奏曲としての華やかさが増しました。
特に「秋の曲」では、第4歌の後に二段の手事が入り、通常は段合わせを行うと説明されています。
本手と替手
本手は曲の中心となる手で、吉沢検校の原曲を基礎とする部分です。
替手は松阪春栄が補ったもう一つの箏の手で、本手に対して別の旋律や動きを加えます。
替手は単なる伴奏ではありません。
本手と絡み合い、和歌の静かな世界に、秋風、月、鹿の声、紅葉、白菊の余韻を器楽的に広げます。
「秋の曲」は、春や夏の曲に比べても、落ち着いた上品な雰囲気を持つ曲として説明されることがあります。
尺八を加えた演奏
「秋の曲」は、箏本手・箏替手に尺八を加えて演奏されることもあります。
尺八は、箏の本手・替手に息の線を加え、秋の空気感を広げます。
月を見る悲しさ、山里の鹿の声、紅葉を惜しむ心、白菊と波の静けさを、過度に感情的にせず、澄んだ音色で支えることが大切です。
「秋の曲」の曲構成
「秋の曲」は、一般に次のように捉えると分かりやすいです。
- 前弾
- 第一歌「きのふこそ」
- 第二歌「久方の」
- 第三歌「月見れば」
- 第四歌「山里は」
- 手事
- 第五歌「散らねども」
- 第六歌「秋風の」
前弾
前弾では、古今組らしい雅やかな響きが作られます。
歌に入る前に、秋の空気と和歌の世界へ聴き手を導きます。
前半四首
前半では、初秋の稲葉、七夕の天の川、秋の月、山里の鹿が歌われます。
秋の訪れから、しだいに内面的な寂しさへ進む流れです。
手事
手事では、本手と替手が絡み合い、歌では語られない秋の余韻を広げます。
第4歌の「鹿の鳴く音に目を覚ましつつ」の後に入るため、山里の秋夜から紅葉へ向かう時間として聴くことができます。
後半二首
後半では、紅葉と白菊が歌われます。
秋はさらに深まり、散る前から惜しまれる紅葉、白波と見分けがたい白菊によって、晩秋の澄んだ景色へ至ります。
演奏するときのポイント
秋の深まりを段階的に表す
「秋の曲」は、最初から深い晩秋を描く曲ではありません。
稲葉に吹く秋風から始まり、七夕、月、鹿、紅葉、白菊へと進みます。
一首ごとの景色を変えながら、秋が少しずつ深まる流れを作ります。
月の歌を重くしすぎない
「月見れば」は非常に内面的な歌ですが、過度に暗くすると、古今組の品格が失われます。
悲しみを大きく表に出すより、澄んだ月を見て、心の奥で静かにもの思いが広がるように表現します。
鹿の声を聴かせる
第四首では、鹿の鳴く音が山里の寂しさを深めます。
写実的に鹿の声をまねる必要はありませんが、遠くから響く声に目を覚ますような静けさと距離感が必要です。
手事を秋の余韻として扱う
松阪春栄の手事は大きな聴きどころです。
しかし、技巧だけを前面に出すと、和歌の余韻が薄れます。
山里の夜から紅葉へ向かう時間として、落ち着きと品格を保ちながら演奏します。
最後は澄んだ晩秋へ
第六首の白菊と白波は、派手な結びではなく、澄んだ秋風の中の美しさです。
明るく終えるよりも、白菊と波が見分けがたくなるような静かな余韻を残すと、曲の味わいが深まります。
「秋の曲」の聴きどころ
- 稲葉をそよがせる初秋の風
- 七夕の天の川に重なる恋の願い
- 秋の月に湧き上がるもの悲しさ
- 山里の夜に響く鹿の声
- 松阪春栄による二段の手事
- 本手と替手の段合わせ
- 散る前から惜しまれる紅葉
- 白菊と白波が重なる晩秋の景色
- 古今和歌集の秋歌を箏歌曲として味わう典雅さ
関連する曲
- 春の曲
- 夏の曲
- 冬の曲
- 千鳥の曲
- 秋の言の葉
- 嵯峨の秋
- 楓の花
- 秋風の曲
「秋の曲」は、「春の曲」「夏の曲」「冬の曲」と並べて聴くと、吉沢検校の古今組の構想が分かりやすくなります。「秋の言の葉」「嵯峨の秋」は、秋を題材にした箏曲として比較しやすい関連曲です。
まとめ
「秋の曲」は、二世吉沢検校が『古今和歌集』の秋歌六首をもとに作曲した箏曲です。
吉沢検校の古今組に含まれ、稲葉、七夕、月、鹿、紅葉、白菊によって、初秋から晩秋までの秋の情趣を描きます。
もとは箏一面の歌曲でしたが、のちに松阪春栄が手事と替手を補作し、現在では本手・替手による合奏曲として演奏されることが多くなっています。
「秋の曲」は、秋の寂しさだけを描く曲ではありません。稲葉を揺らす風、七夕の願い、月を見たときのもの悲しさ、鹿の声、散る前から惜しまれる紅葉、白菊と白波の澄んだ美しさが、六首の和歌によって一つの秋の流れを作っています。