秋の言の葉|歌詞の意味・西山徳茂一・秋の虫と月の情景を解説

「秋の言の葉」は、秋の虫の声、桐の一葉、野辺の露、遠く聞こえる砧、澄んだ月を通して、秋の深まりと古歌の世界を描いた箏曲です。
作曲は西山徳茂一、作詞は旧備前岡山藩主の池田茂政とされます。明治時代に作られた新曲で、箏の本手・替手に尺八を加えた演奏も行われています。日本伝統文化振興財団『箏曲地歌大系』にも「秋の言の葉」は西山徳茂一作曲として収録されています。
「秋の言の葉」の基本情報
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 曲名 | 秋の言の葉 |
| 読み | あきのことのは |
| 分類 | 箏曲・明治新曲 |
| 作詞 | 池田茂政 |
| 作曲 | 西山徳茂一 |
| 作曲時期 | 明治時代、明治10年ごろとする資料あり |
| 主な編成 | 歌・箏、本手・替手、尺八など |
| 箏の調弦 | 平調子から中空調子とする資料あり |
| 主題 | 秋の虫、露、遠砧、月、古歌、和歌の伝統 |
日本伝統音楽情報サイトJAMUでは、「秋の言の葉」は地唄・箏曲の明治新曲に分類され、作曲者を西山徳茂一、作詞を池田茂政、箏の調弦を平調子から中空調子としています。
「秋の言の葉」とは
「秋の言の葉」は、明治時代に作られた箏曲の名曲です。
江戸時代の地歌・箏曲を受け継ぎながら、明治期の新しい箏曲として作られた作品に分類されます。明治時代には、当道制度の解体や西洋音楽教育の導入などによって箏曲界が大きな転機を迎え、大阪では箏伴奏を中心とする「明治新曲」と呼ばれる新しい歌曲が作られました。
「秋の言の葉」も、そうした明治新曲の流れの中で生まれた作品です。
曲全体には、秋の風物が次々と現れます。桐の葉が散り始め、朝夕の風が涼しくなり、野辺の草には露が置きます。松虫、轡虫、蟋蟀などの虫の声が響き、遠くでは砧の音が聞こえます。やがて夜が更け、澄んだ月の光の下で、古人の歌に残された「秋の言の葉」が今に伝わっていることをたたえます。
曲名「秋の言の葉」の意味
「言の葉」は、古風な言い方で「言葉」を意味します。
そのため「秋の言の葉」は、秋について詠まれた言葉、秋を表す歌の言葉、秋の情趣を伝える和歌の表現という意味で捉えることができます。
同時に、「葉」という字から、秋に色づき散っていく木の葉も連想されます。
曲の冒頭では、桐の葉が散り始めることで秋の訪れが示されます。最後には、古人の和歌が「言の葉」として今に伝えられていることが歌われます。
つまり曲名には、
- 秋の風物を表す言葉
- 古人が和歌に残した言葉
- 秋に散る木の葉のイメージ
- 箏曲として受け継がれる古典の情趣
が重ねられています。
作曲者・西山徳茂一
西山徳茂一は、明治期に大阪で活躍した箏曲家・作曲家です。資料によっては「西山徳茂都」と表記されることもあります。
岡山出身で、明治初年に大阪へ出たとされます。作曲家リストでは、1857年生まれ、1898年没とされ、「秋の言の葉」は明治10年ごろの作曲と説明されています。
「秋の言の葉」は、西山徳茂一の代表作として扱われることが多く、箏曲・尺八の演奏会でも取り上げられる機会の多い作品です。
作詞者・池田茂政
作詞者の池田茂政は、旧備前岡山藩主です。
作曲者の西山徳茂一が岡山出身であったことから、旧岡山藩主である池田茂政の詩を題材として作曲したと考えられます。作曲家リストでは、池田茂政を1836年生まれ、1897年没とし、徳川慶喜の弟にあたる人物として紹介しています。
歌詞には、単なる秋景色だけでなく、和歌や古典文学を踏まえた表現が含まれています。曲の最後で「古人の言の葉」を今に伝えると歌われることからも、作詞者の古典教養が感じられます。
歌詞について
「秋の言の葉」の歌詞は、秋の訪れから始まり、虫の声、砧の音、月、古歌へと展開します。
歌詞全文は、使用する譜本に合わせて掲載するのがよいです。譜本によって、「桐の一葉」「松虫」「鈴虫」「蟋蟀」「遠砧」「敷島」などの表記や仮名遣いに差が出る場合があります。
記事では、次のような構成で歌詞を入れると自然です。
秋の言の葉の歌詞
※ここに使用譜の歌詞全文を掲載
※歌詞には譜本や流派によって、漢字表記・仮名遣い・虫の名称の表記に違いがあります。本記事では使用譜の表記に合わせています。
歌詞全体の意味
秋が訪れ、桐の葉が散り始めます。朝夕は自然と涼しくなり、野辺の草には露が置きます。
その露のように、秋の情け、もののあわれを身にしみて感じるころ、松虫の声が聞こえてきます。さらに、轡虫、蟋蟀、機織る虫など、さまざまな秋の虫の音が重なります。
人里離れた粗末な住まいにも、秋の哀れは同じように訪れます。虫の声に合わせるように、遠くから砧の音が聞こえ、秋の夜の静けさが深まります。
やがて夜が更け、空には曇りのない月が澄んで輝きます。
今宵こそ秋の真ん中であるという、古人の歌に残された言葉。その和歌の心は、今もなお伝えられ、日本の歌の道を導くしるべとして残されています。
桐の一葉に見る秋の訪れ
曲の冒頭では、桐の葉が散り始めることで秋の到来が示されます。
桐は大きな葉をつける木です。その一枚の葉が落ちるだけでも、季節が変わったことを強く感じさせます。
「一葉落ちて天下の秋を知る」という言葉があるように、一枚の葉から大きな季節の変化を感じ取るのは、古典的な秋の表現です。
この曲も、華やかな紅葉から始まるのではなく、桐の一葉という小さな変化から、秋の世界へ入っていきます。
野辺の千草と露
秋の野辺には、さまざまな草が生い茂り、その上に露が置きます。
露は美しいものですが、朝日が昇ればすぐに消えてしまう、はかないものでもあります。
歌詞では、露を単なる自然描写としてではなく、秋の情け、もののあわれを感じさせるものとして扱っています。
草の葉に置いた露の冷たさや透明感が、秋の夜の静けさと、人の心にしみる寂しさを表しています。
松虫の音
松虫は、秋の虫として古典文学や和歌にしばしば登場します。
松虫の声は、澄んだ秋の夜を感じさせる音です。
歌詞では、松虫の音がきっかけとなって、秋の虫の世界が広がっていきます。
「松虫」という名には、「待つ」という言葉を連想させる響きもあります。そのため、単なる虫の名前でありながら、誰かを待つ心、恋しさ、寂しさを含んだ言葉としても受け取ることができます。
轡虫と馬のイメージ
轡虫は、馬の口に付ける轡を連想させる名前を持つ虫です。
歌詞では、武士が馬を進める情景と、轡虫の名が重ねられています。
ここでは、虫の声が単に自然の音として並べられているだけではありません。松虫の声に引かれて進む馬、轡の音を思わせる虫の声が、秋の夜の動きを作っています。
この部分には、『平家物語』の小督の物語を背景に見る解釈もあります。小督を探す仲国が、嵯峨野の秋の虫の声の中を進む情景を思わせると説明されることがあります。
蟋蟀と機織る虫
蟋蟀は、現在ではコオロギと読まれることが多い虫名です。
古典では、虫の名称や聞こえ方が現代と異なる場合があり、「つづれさせ」「機織る虫」といった表現と結び付けられることがあります。
虫の声が、布を織る音や、細かな作業の音のように聞こえるのです。
ここでは、虫の声が遠砧の音へつながります。自然界の虫の声と、人の暮らしの中から聞こえる砧の音が、秋の夜の音風景として一体になります。
遠砧とは
砧は、布を木や石の台に置き、槌で打って柔らかくしたり艶を出したりする道具、またはその作業を指します。
古典文学や音楽では、遠くから聞こえる砧の音は、秋の夜、旅愁、孤独、離れた人を思う心と結び付けられます。
「秋の言の葉」では、虫の声に合わせるように遠砧が聞こえます。
近くで鳴く虫の音と、遠くから響く砧の音が重なることで、秋の夜の奥行きが表現されています。
更け行く空と澄んだ月
曲の後半では、夜が更けていく大空と、曇りのない月の光が描かれます。
前半では、桐の葉、露、草、虫、砧といった地上の音や景物が中心でした。
後半では、視線が空へ上がり、清らかな月へ向かいます。
秋の月は、古典和歌において非常に重要な題材です。空気が澄み、月光がくっきりと見える秋の夜は、和歌や物語の中で繰り返し詠まれてきました。
「今宵ぞ秋の最中」
後半の中心となるのが、「今宵こそ秋の最中である」という趣旨の表現です。
この部分は、源順の和歌を踏まえたものと説明されています。源順の歌では、水面に映る月の波を数える情景を通して、今宵こそ秋の真ん中であると詠まれています。
「最中」は、現在の菓子名ではなく、「真ん中」「盛り」という意味です。
秋の最中とは、秋がもっとも深まり、月も虫の音も露も砧も、秋の情趣をもっともよく表す時を意味します。
古人の言の葉
「古人の言の葉」は、昔の人が和歌に残した言葉を指します。
この曲では、秋の風物を描くだけでなく、それらが古くから和歌に詠まれ、受け継がれてきたことを歌っています。
桐の葉、露、虫の音、砧、月は、どれも単なる自然現象ではありません。
古人が何度も歌に詠み、言葉として磨き上げてきた秋の象徴です。
「秋の言の葉」という曲名は、この古人の歌の言葉を受け継ぐという意味からも理解できます。
敷島の道
「敷島」は日本を表す雅語として使われます。
「敷島の道」は、日本の和歌の道、すなわち和歌の伝統を指します。
歌詞の最後では、古人の言葉が今に伝わり、和歌の道を導くしるべとして残されていることが歌われます。
「秋の言の葉」は、秋の風景を描いた曲であると同時に、和歌の伝統そのものをたたえる曲でもあります。
曲の構成
「秋の言の葉」は、大きく次のような流れで捉えられます。
- 秋の訪れを示す前半
- 虫の声と遠砧による音風景
- 箏の手事
- 月と古歌をたたえる後半
前半では、桐の一葉、露、虫の声、遠砧といった地上の秋が描かれます。
手事では、箏の本手・替手が絡み合い、虫の声や砧の響きを思わせる器楽的な展開が生まれます。
後半では、視線が夜空と月へ広がり、源順の和歌を踏まえながら、古人の言の葉を今に伝える内容へ進みます。
箏の本手と替手
「秋の言の葉」は、箏の本手と替手による合奏が重要です。
本手は曲の中心となる手、替手はそれに対して別の旋律や動きを加える手です。
日本伝統文化振興財団『箏曲地歌大系』では、「秋の言の葉」は歌、箏本手、箏替手、尺八による演奏として収録されています。
本手と替手が同じ旋律を単純に重ねるのではなく、虫の声や砧の音のように、異なる音が重なり合って秋の夜の響きを作ります。
尺八の役割
尺八を加えた演奏では、箏の本手・替手の間に息の線が加わります。
尺八は、虫の声を直接まねるというより、秋の夜気、月明かり、遠く聞こえる音の余韻を支える役割を持ちます。
前半では秋の野辺の静けさ、手事では虫の音や砧の響きに寄り添う流れ、後半では月の清らかさと古歌の余韻を意識すると、曲の世界がまとまりやすくなります。
演奏するときのポイント
秋の変化を段階的に表す
冒頭から深い秋として演奏するのではなく、桐の葉が散り始めるところから、少しずつ秋が深まる流れを作ります。
朝夕の涼しさ、露、虫の声、砧、月へと、景色が段階的に変わっていくことを意識します。
虫の声を軽くしすぎない
虫の声はかわいらしい自然音ではなく、秋の寂しさやもののあわれを伝える重要な要素です。
細かな音型を明瞭にしながらも、機械的にならないよう、音の余韻や間を大切にします。
遠砧の距離感を作る
砧の音は近くで大きく響く音ではなく、遠くから聞こえてくる音です。
強く打ち出しすぎるより、秋の夜の奥から聞こえてくるような距離感を意識します。
後半で月の清らかさへ移る
前半の虫や砧の音から、後半では月の光と古歌の世界へ移ります。
音量をただ大きくするのではなく、響きを澄ませ、視線が空へ広がるように表現します。
最後は和歌の余韻を残す
結びは、秋景色の描写だけでなく、古人の言葉が今に伝わることをたたえる内容です。
最後を単なる季節描写として終えず、和歌の道への敬意と余韻を残します。
「秋の言の葉」の聴きどころ
- 桐の一葉から秋が始まる冒頭
- 野辺の千草に置く露の静けさ
- 松虫、轡虫、蟋蟀など秋の虫の声
- 虫の音と遠砧が重なる秋の夜
- 本手と替手による箏の合奏
- 平調子から中空調子へ移る響きの変化
- 更け行く夜空と澄んだ月
- 源順の和歌を踏まえた「秋の最中」
- 古人の言の葉を今に伝える結び